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新聞が元気を取り戻すとき(廣瀬 道貞)2008年1月

入閣のうわさが高い舛添要一さん宅の玄関先を朝早くからテレビカメラが狙っている。ご本人が生ごみの袋を提げて現れる。袋を集積場に出して戻ってくると玄関脇の新聞受けから朝刊を取り出す。1部や2部ではない。5部か6部か。ごっそり小脇に抱えて玄関に消える――。

 

最近は珍しいが、家の主人が何部かの新聞を取り出す姿は、昔よく見かけた。新聞を丹念に読む政治家は、それだけで信頼したくなる。舛添さん、合格点だ。

 

◆強力、大容量のネット

 

新聞が部数と広告の両面で不振と伝えられる。新聞業界では、記事を横取りしたうえ無料で流すインターネットこそ主要敵だとする空気が強い。そこから「自分たちの記事をいかにしてネットによる剽窃から守るか」とか、さらに「いっそ新聞社がインターネット事業に共同で進出し、そこで新たなビジネスモデルを構築すべきでないか」といった議論に発展する。議論だけでなく、実際に動き始めた新聞社も少なくない。

 

動画を売り物にするインターネットにテレビの番組が無断で使われるケースも急速に増えている。わたしたち放送事業者にとっても、このニューメディアにどう対峙するかは切実なテーマである。

 

有効な抑止策をとりたいが、改めてパソコンの前に座ったわたし自身の体験から言うなら、これは容易なことではない。昨日のネットと今日のネットはまるで違う。敵の本体に切り込んだつもりが、影を切っただけ、という結果にもなりかねない。

 

デジタルやネットをめぐる技術革新、これに支えられたネットサービスの拡大には、感嘆すべきものがある。たとえばこうだ。

 

ネットのニュースは、以前、各紙に掲載されたいわゆる「本記」に限られていた。「解説」や「社説」は新聞各社が用心してホームページにも出さないため、ネットに再掲されることもなかった。

 

サブプライムが契機となり米国で株価が暴落した日(わが国では新聞休刊日だった)、ネットを代表するヤフージャパンやグーを開くと、本記は通信社系のものだけで寂しかったが、逆に関連記事は各種の解説、専門家による対談など賑やかだった。これらのネタ元は、どうやら銀行や証券会社等のホームページ。ネットは検索対象をいつの間にかそこまで広げていたということだ。

 

代表的なネットは検索・分類・集計のエンジン機能を強化し、パソコンの使い勝手を日々改善している。かれらが目下いちばん重視しているのは、情報にアクセスしてくるユーザーたちを「ブログ」とか「チャット」「掲示板」と呼ばれる書き込みページに誘導することではないかと思われる。その場合の情報だが、新聞記事が首座を占めているわけではない。買い物、行楽、レストラン、人物評その他もろもろの中の一部に過ぎない。

 

◆膨大になる開発費

 

たとえば「過去10時間に話題になった記事」(10位まで)といった主要ページから真っ直ぐに「この記事についてブログを書く」「ブログを読む」に繋がる。ユーザーがいちばん長く足を止めるのはブログでの読み書きだろう。それによって広告収容量が増えるから、ネット事業者にとっては収益モデルになるわけだ。

 

ブログの愛好者には、インターネットで読む新聞記事はいわば記号に過ぎないのかもしれない。「守屋前防衛事務次官」とあれば、ブログを書くにはそれだけで十分。各紙のホームページに飛んで記事の中身を比較点検する人は、かりにいるにしてもわずかだろう。

 

以上をまとめるとこうなる。①かりに新聞各社がネットに対して記事の流出をうまく遮断できたにしても、ネットの側に大きな打撃を与えることにならない。

 

②新聞社が単独、または数社共同でニュース主体の新しいネットを立ち上げてもユーザーで活況を呈するとはまず考えられない。自分たちの紙面からだけでなく、硬軟(軟の中には猥雑なものも)の情報を外から集めないと客は立ち寄らない。

 

③いや、やる以上は外部の情報をサーチする強力なエンジンと大容量のサーバーを完備するさ、と言うかもしれない。しかしそれには毎年、開発費を含めた膨大な資金が必要だ。資本をマーケットから集める種類の事業であって、今日まで歩いてきた新聞経営とは異質の世界だ。

 

◆民主主義のインフラ

 

一方テレビだが、民放、NHKを問わず新しい連続ドラマはほとんどすべて、放送後数時間のうちに、ユーチューブ、ニコニコ動画など投稿系の動画ネットに登場する。もちろんわたしたち放送局には断りなしだ。サイトに対して「権利侵害だ」と管理者責任を指摘するといったん消えるが、別の投稿者があればまた現れる。イタチごっこだ。中国、韓国、米国のサイトにも投稿されていて、こちらは字幕付きで出回っている。

 

こうしたネットによる侵害が番組の視聴率にどう響いているか、まだ詳しい調査はない。しかし放送局があらかじめ計画している番組の二次利用、三次利用には支障が避けられない。効き目のある対応をしないと、なによりもテレビ局を信頼してくれている著作権の関係者や番組提供のスポンサーに申し訳ない。

 

欧米で長い歴史を持つ新聞社が、経営不振から記者の大幅なレイオフを発表したという記事を、このところしばしば目にする。世界に手厚い取材網を敷き国際ニュースで高い評価を受けてきた放送局のなかにも、取材網の縮小に踏み切った例がいくつかある。

 

新聞社のプロの記者集団や放送局の鍛えられたキャスター、リポーターの存在は、いわば民主主義を守るインフラである。論説委員もある程度の数がそろっていることで公正さが保障される。

 

かたやインターネットには組織された記者やリポーターは存在しない。職業的な記者集団ではなく、個々の「市民記者」ともいうべき人たちの活動を目玉にするネットもあるが、その役割は限定されている。市民の情報源として新聞が遠くなり、代わりにネットのチャット(おしゃべり)やブログの比重が大きくなると、社会は次第に方向感覚を失っていくことにならないか。

 

ネットの繁盛に比較して新聞、テレビの将来を暗く見ているように思われそうだが、わたしの意図はまったく逆だ。情報系のネットや動画サイトの全体像が、将来の姿も含めてようやく人々の目に見えてきた。飽和感も出てきている。

 

ネットは人々の時間を存分に食う化け物ではあるが、新聞やテレビに代わるマスメディアにはなりえない。公益性にしばしば背を向けるパフォーマンスをみれば、仕方のないことだ。

 

◆学生対応、併読割引

 

新聞の情報の豊かさ、面白さはネット時代にかえって目立つようになった。わたし自身についていうなら、朝刊だけで一千項目を超えると思われる記事や広告のメッセージを眺めて、心に響くものを自分の目でサーチ(検索)できるのを貴重だと思う。

 

もともと新聞をとっていなくてネットに向かった人はいるが、ネットがあるから新聞をやめたという人にはお目にかからない。新聞は本業にもっと自信を持っていい。

 

新聞の将来という点で心配なのは、学生の新聞離れだ。ネットのせいにしがちだが案外、値段のせいかもしれない。夏休みの2カ月間、朝刊配達のアルバイトをしたら数年分の購読券を渡すとか、学生向けの工夫はないものか。

 

新聞の成長とともに歩いてきた団塊世代。退職すれば併読が難しくなるだろう。販売店の共同化をいうなら、配達の人手は変わらないから併読割引ができるのではないか。印刷コストが安くなって書籍の値段は下がった。買いやすい価格を見つけるのも新聞の本業のうちだ。

 

ひろせ・みちさだ▼1934年生まれ 大分県出身 慶応大学卒 58年朝日新聞入社 政治部 那覇支局長 論説委員 名古屋 大阪各本社代表 代表取締役専務など 98年全国朝日放送(現・テレビ朝日)副社長 99年社長 2005年から会長 06年から日本民間放送連盟会長を務める

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