2025年07月04日 15:00 〜 16:00 10階ホール
「戦後80年を問う」(12) 森下洋子・松山バレエ団理事長・団長、プリマバレリーナ

会見メモ

森下洋子さんの祖母、母はともに広島市で被爆した。自身は敗戦の3年後の生まれ。3歳でバレエを始め、70年以上にわたり舞台に立ち続ける中で、踊りに平和への思いを込めてきた。この原点となった祖母との思い出、戦後80年を迎える中での平和や核廃絶への思い、20世紀を代表するルドルフ・ヌレエフやマーゴ・フォンテインなど世界的なバレエダンサーとの交流から学んだことや、現役を続けるうえで気を付けていること、世界で活躍する日本人バレエダンサーに伝えたいことなど多岐にわたる質問に応じた。

 

司会 中村正子 日本記者クラブ企画委員(時事通信社)


会見リポート

平和の意志 舞い、信じる

飯塚 友子 (産経新聞社文化部)

 「原子爆弾によって、私の人生の色とにおいと、照り返しが、どのようになったか、お話しします」

 舞踊歴74年目。広島生まれの世界的プリマ・バレリーナの足跡は、そのまま日本の戦後復興と重なる。幼くして才能を見いだされ、上京し、さらに海外に活躍の場を広げても、常に根っこにあったのは故郷への思いと、平和への願い。会見の冒頭、舞台姿そのままのエレガントな空気をたたえながらも、その強い信念と覚悟を語った

 被爆した母は戦後3年目に森下さんを生んだ。娘の健康を願う母の希望で、3歳から始めたバレエが、人生を変えた。地道なレッスンも、ただただ楽しかったとほほ笑む。

 「被爆一家に生まれ、不器用な、体の弱い森下洋子は、まるで原爆戦争を基に、自分の肉体と精神を作る道を走ってきたように感じます」

 ヴァルナ国際バレエコンクールでの金賞、英ローレンス・オリヴィエ賞、パリ・オペラ座バレエ団への出演など「日本人初」の称号が付いて回る輝かしい経歴は、この身長150㌢の体から生まれた。70歳を超えた今日まで現役プリマとして、全幕作品を踊る稀有な存在だ。その不屈の精神は、最愛の祖母から受け継いだ。

 「祖母は左半身を被爆し、大やけどを負った。でもすごく明るく前向きな人で、『私はお経まで上げてもらったのに、生きていられる』って、笑いながら言うんです」

 生家では、原爆が話題になることはほとんどなかった。むしろ祖母は、孫に生きる喜びを伝え、不自由になった親指を嘆くのではなく、機能できる指が残った感謝を語った。「おばあちゃんの精神力、強さってすごいって後になって感じました」

 世界で戦禍が続く今こそ、舞台の上から平和を訴え続ける決意を述べた。「今の私の振り、舞い、魂が、平和の姿、意志を表していると、恥ずかしさもなく信じています」


ゲスト / Guest

  • 森下洋子 / Yoko MORISHITA

    松山バレエ団団長、プリマバレリーナ / Pesident, Matsuyama Ballet Foundation Representative Director

研究テーマ:戦後80年を問う

研究会回数:12

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