2025年07月25日 14:00 〜 15:00 10階ホール
「戦後80年を問う」(16) 茂木友三郎・日本生産性本部名誉会長、キッコーマン取締役名誉会長 取締役会議長

会見メモ

日本生産性本部の名誉会長でキッコーマン取締役名誉会長・取締役会議長の茂木友三郎さんは、1935年2月にキッコーマン創業家に生まれ、10歳のときに敗戦を迎えた。

太平洋戦争の開戦から敗戦、そしてその後をどのような思いで過ごしたのかを振り返るとともに、キッコーマンで自身が主導した米国進出や、バブル崩壊後の失われた30年の要因、いまの日本が直面している課題と今後のあり方などについて話した。

 

司会 菅野幹雄 日本記者クラブ理事・企画委員長(日本経済新聞社)


会見リポート

50代以下の世代に期待

森 一夫 (日本経済新聞社出身)

 戦後、高度経済成長が始まる頃から企業の第一線に立ってきた経営者である。敗戦を10歳で迎え、小学校で教科書の半分くらいを、進駐軍の指示により墨で塗りつぶした。「戦争に負けると、こうなるのだなと思った」そうだ。「新制中学に入ると、英語が必修科目なのに、英語の教師が1人もいない」状態だった。

 そんな中で、戦後、日本に来た米国人が醤油の味を覚えたのに着目し、キッコーマンは、米国市場の開拓に本格的に取り組んだ。創業家の一員である茂木氏は、米国に留学してMBA(経営学修士)を取得し、米国への工場進出のために奔走した。

 茂木氏が6月まで会長を務めた日本生産性本部は昭和30年の創立である。「欧米に学ぼうという運動を展開し、企業経営者や労働組合の指導者などの視察団を欧米に派遣した」。こうして企業経営は近代化し、日本は奇跡的な経済成長を遂げた。

 欧米に追い付いた後、バブル経済に突入。「日本全体が浮かれてしまったように感じた」。そう語る茂木氏は「バブル崩壊後、株価や地価が大暴落し、その後遺症で、経営者が委縮したのが失われた30年の大きな要因だ」と思っている。

 このため「バブル崩壊の怖さを直接体験していない50代以下の世代に私は大いに期待したい」と強調した。世代がかわれば「リスクを恐れず、思い切った投資ができるのではないか」と考えるからだ。

 日本経済の再活性化には、何よりも「需要の創造が必要」と説く。「ではどうすればよいのか、イノベーションと、ディファレンシエーションつまり差異化を進めることだ」

 とはいえ日本は様々な困難を抱えている。「経営には志、理念、理論、中長期のビジョンが不可欠だ。国にも同じことが言える。日本は国家戦略が問われている」と、気がかりな政治にも注文をつけた。

 


ゲスト / Guest

  • 茂木友三郎 / Yuzaburo MOGI

    日本生産性本部名誉会長、キッコーマン取締役名誉会長 取締役会議長

研究テーマ:戦後80年を問う

研究会回数:16

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