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パスポート紛失顛末の記(石岡 荘十)2006年7月

 何冊かあるパスポートの中で、とりわけ記念すべきものは、1983年5月11日、在アトランタ日本領事館から発行されたものである。アメリカに住んでいたわけでもないのに、なぜか。それには忘れられない経緯がある。
 
 成田を出発したのは1983年5月1日。米欧4週間の一人旅、といっても出張旅行だ。47歳、この歳になるまで海外の一人旅はしたことがなかった。戦前、中国で暮らした経験はあったものの、西欧へは30代にカナダとアメリカに一度、足を踏み入れたことがあるだけだった。
 
 1ドル240円の時代だ。本籍社会部、当時整理部に在籍していた一記者にとって、ポケットマネーで簡単に一ヶ月近い米欧旅行を出来る身分でも、そんな時代でもなかった。ところが、思いもかけないチャンスが転がり込んできた。

  そのころ、すでに老朽化した報道専用のスタジオの建替えに先立って、先進各国の放送システムを調査し提言するというのが、初めての海外出張の目的だった。となると、お手本はなんといってもアメリカ。成田から飛んだ先はNY。支局駐在のエンジニアの案内で、ケーブルテレビと緊急報道で評価の高かったCBSを取材。CBSは折りしも、新社屋の建設中という絶好のタイミングであった。入手した完成予想図は、帰国後リポートに添付した。昼飯をとったのは、“いまは亡き”タワービルの最上階でだった。
 
 NYでの取材を終わって、NHKと提携関係にあったワシントンABCへ。ここのニューススタジオは当時のNHKの「ニュースセンター9時」のスタジオ・ディスプレーのモデルとなったところだ。土曜日、休日のお楽しみは、ジョージタウンにあるジャズのライブハウス「ブルース・アレイ」。「ジョージ・シァリング出演!」。新聞のエンターテイメント欄でチェック済みだった。ジャズキチとしては見逃せない。晩飯のステーキ付、35ドルで夢にまで見たナマジャズを堪能した。
 
 しかし何といっても、今回の旅行の最大の関心はアメリカ3大ネットワークをしのぐ勢いの新顔CNNに対するものだった。その本拠地はアトランタ。CNNの「24時間ニュース」などという発想は、そのころ世界のどこにもなかった。平屋のカマボコ兵舎を何列か並べたような簡素な建物の中には、最新技術を駆使した放送機器が整然と配置され、日本の放送現場に見られるような怒号が飛び交うこともなく、二つのスタジオを交互に使って、淡々と世界の最新情報を、発信しているのだった。中庭には、そのころまだ珍しかった直径数メートルの4基のパラボラアンテナが空をにらんでいた。
 
 さて、CNNから帰って、ホテル最上階のプールでひと泳ぎ。その日は、48回目の誕生日。夕食後、ふらっと飲みに出かけた。これがよくなかった。ホテルに帰って寝入った。ところが、である。翌朝、ジャケットのポケットを改めると、ない。真っ青になった。パスポートとトラベラーズチェックが姿を消していた。バーの椅子に上着をかけて飲んだ覚えがあるが、はっきりしない。
  それからが大変だった。この後、ヨーロッパに飛ぶことになっているが、パスポートなしでは、このまま帰国するしかない-----。
 
 ホテルのガードマンと地元警察に被害届け。その足で日本領事館に赴き再発行申請。着任して間もないというM領事に面会を求めて窮状を訴えると「普通一週間はかかりますが、出来るだけ早く何とかしましょう」。領事の顔が仏様に見えた。そればかりではない。その夜は、公邸でディナーをご馳走になった。それもこれも、領事が本省に勤務していたころ、以前、地方で私の部下だった記者と親しかったことがわかったお陰だった。パスポートは3日後再発行された。その追記欄にはこう書いてあった。

 THIS PASSPORT REPLACES NUMBER
 MG ○○○○○○○(○はナンバー)
 
 だが、これには出国のスタンプが無い。
 
  その後、一日遅れで渡欧。英仏独の放送局6ヶ所を回って、5月末に無事、帰国した。
 アトランタは、私にとっては「風とともに去りぬ」を凌ぐドラマティックな舞台として、記憶に残っている。(2006年7月記)
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