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口笛吹くハムレット(轡田 隆史)2005年11月

旅に出るときの最大の難関は、さて、本は何を持って行こうかなと、いつもギリギリまで迷うところにある。その点で、さすがに凄いなあ、と感じ入るのは、エヴェレストで遭難した英国の登山家マロリーである。

以下は、朝日の論説と、そして日本山岳会の、両方の大先輩である、いまは亡き島田巽さんの名品『遙かなりエヴェレスト-マロリー追想』(大修館書店)に教えられたことだけれど、1922年の第2次遠征のとき、インドまでの船旅で読んでいたのはケインズのあの『平和の経済的帰結』である。そして登攀中のテントで読んでいたのは、『詩文選』と、シェイクスピア全集のなかの『ハムレット』と『リア王』であった。

頂上アタックを目指す6400メートル付近の第3キャンプでは、相棒のサマヴェルと2人で3日間すごした。詩文選の詩をかわるがわる朗読すると、エヴェレストの持つ思いもよらぬ理念を見いだすことができたし、シェイクスピアも、セリフを交互に読み上げると、だんだん熱を帯びてきたという。

このような大登山家の大遠征と、ぼくなんかのちっぽけな旅をいっしょにするなんて恥ずかしいけれど、『ハムレット』だけは、いつでもためわらずにバッグに入れる。というのは、中学2年生の秋の学芸会で、ぼくはハムレットを演じているからだ。しかも明治の坪内逍遙訳で。以来、読むたびに新しい発見があるから、離せない。

で、もう一冊は? というところで苦しむことになるわけだが、一度だけ、例外的にスンナリ決定したことがある。アイルランドに旅したときのことだ。

20世紀文学の金字塔、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』である。おりから丸谷才一さんたち3人による第1巻の新訳が出たばかりだった。すぐに飛びついて読んでいた、まさにそのときにアイルランドの首都ダブリンへの旅に出立したのである。いうまでもなく、この小説は、古代ギリシャの長編叙事詩『オデュッセイア』を下敷きにして、舞台を1904年6月16日のダブリンに置き換えた小説である。

ダブリンに行くぼくが、これをバッグに収めたのはむしろ必然だった。ただし、いまは集英社文庫に収録されているが、当時のは厚さ4センチ近い重い本だ。

機内で熟読し、ダブリンに着いてからは、昼間は市内をうろつき、夕方ともなれば、小説に登場するパブをハシゴして、ヨレヨレになってホテルに戻る。ベッドに横たわると、前夜のつづきに読みふけるのだけれど、酔眼モウロウ、眠り込んでしまって、重い本を顔の上に落としてギャッと叫ぶことしばしばであった。

いま、その懐かしい本を手にすると、ギネスの香りが漂ってくるみたい。なにしろ、よく飲んだ。「デイヴィー・バーン」はにぎやかすぎたけれど、200年前の姿そのままの、柱の傾いた「ジョン・マリガン」では、静かに飲めた。

足の高いイスに、初老の男女が向かい合って腰掛けて、ギネスをやっている。男が、女の目を見つめながら、小声でうたいだした。多分、この町に古くから伝わるバラッドに違いない。口笛もまじる。

さて、出ようか、と思って、ふと気がつくと、外は雨。そのせいにして、もう一杯。グズグズになった頭のなかで、ハムレットもユリシーズも、ずっと前に北アイルランドのベルファストで、テロの爆発音におびえたときのことなども、みんな一斉に声を上げる。

と、書いてきたら、にわかにギネスがやりたくなって、ダブリンのあの男のように、ピューと口笛を吹いた。明晩は、俳優座のバーにでも行ってみようか。(2005年11月記)
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