取材ノート
ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。
「花も嵐も踏み越えて」来た/刺激いっぱい在韓記者40年(黒田 勝弘)2026年3月
筆者が共同通信から産経新聞に移ったのは1988年12月で満47歳だった。共同には24年間いてソウル語学留学やソウル支局長をさせてもらった。産経に移ったのは「ソウルで無期限に仕事をさせてやるから来ないか」と誘われたからだ。共同では「もう現場での仕事はない」というので喜んで移った。
翌89年1月、ソウルに赴いた。この年、昭和が終わり平成がスタートし、さらに令和になったが、今もソウルで仕事をさせてもらっている。今年で85歳になるが、人生の半分をソウルで過ごさせてもらったことになる。感謝しかない。
自分の中の歴史認識「進化」
業界評としては共同通信はリベラル・左派で産経新聞は保守・右派である。そこで筆者は座談や講演の折にはよく「左右両方を経験してきたのでボクの話が一番客観的ですよ」と冗談をいう。なのに韓国のメディアは産経新聞を「極右」といい筆者も「極右言論人」などといわれてきた。これに対しては「産経新聞も筆者も昔から同じ位置にいる。皆さん(韓国)が左傾化したからでそう見えるのですよ」と皮肉を言って楽しんでいるが。
ただ、筆者に変化があったことは事実だ。自分では進化と思っているが、いわゆる歴史認識のことである。韓国(朝鮮)に対する見方において、それまでの過剰な贖罪意識や被害者中心史観から脱皮したからだ。
ここでは深入りしないが、ソウル赴任から10年後に出版した『韓国人の歴史観』(文春新書、99年1月刊)にはそのあたりのことが書かれている。「反日は韓国にとっての都合」であり「彼らの都合(反日歴史認識)にわれわれが歩調を合わせる必要は必ずしもないのでは」と思うようになったのだ。
この〝進化〟は共同から産経に移ったせいではない。韓国に長居することによって、韓国人にとっては「あった歴史(事実)」より「あるべき歴史(希望)」が重要という、彼らの特異な?歴史観を知った結果である。
ソウルでは産経時代が長いので、89年以降、身辺に起きた特異な事どもをいくつか書き残しておきたい。
フジテレビ支局長逮捕の真相
ソウル赴任当時の支局は、フジテレビ・ソウル支局と共にMBC放送の中にあり、フジテレビのスタッフと同居していた。金泳三政権(1993―98年)初期の93年7月、フジテレビの篠原昌人支局長が軍事機密保護法違反で逮捕される事件が起きた。ソウル常駐外国人記者の取材活動にかかわる逮捕は、韓国では史上初めてである。
当時、筆者は「事態を穏便に早く収拾したい」というフジテレビ側の意向もあり、詳細は報道しなかった。篠原支局長は1審での懲役2年の実刑判決が2審で執行猶予となり、身柄拘束から9カ月後に釈放、帰国して一件落着したが、あの事件は何だったのか?
容疑は、知人の軍関係者(情報司令部所属の海軍将校)から対外秘の軍関係資料を入手し、日本大使館の駐在武官に提供したり、日本の軍事関係雑誌への寄稿で引用していたなどというものだった。
彼は軍事問題に詳しい記者だった。デスクには兵器のミニチュアが並べられ〝軍事オタク〟的な雰囲気さえあった。米軍や韓国軍の取材にはこまめに足を運んでいた。入手した資料を時折、見せてもらったことがあるが、専門性が高く一般の新聞記事に引用できるようなものはほとんどなかったように記憶する。
韓国当局が問題視するきっかけになったのは、日本の軍事雑誌にペンネームで寄稿していた評論の引用資料だった。その出所追及のため、篠原支局長に対する郵便物や通話のひそかなチェック、尾行などが続けられ、提供者は突き止められた。
韓国メディアは「日本大使館武官と一体となった日本人記者の軍事スパイ事件」として大々的に報じた。「東亜日報」などは当時、手錠をかけられた篠原支局長逮捕の写真を1面トップで掲載している。
筆者にも韓国メディアから取材の電話がかかってきた。「あれは取材活動の一環である。駐在武官との情報・意見交換も特派員としては一般的なことである。犯罪にはあたらない。皆さんと同じ記者の仕事として判断してほしい」と繰り返したが、聞いてもらえなかった。
嘆願にも出かけた。まず検察庁の公安部長、ついでメディア出身で政権に起用されていた文化公報大臣や与党の重鎮など。「外国人記者の取材活動の一環として理解と善処」を訴えたが、これも効果はなかった。
政治的誇示として見せしめ
この過程で外国人記者の逮捕・起訴という異例の強硬策の背景が分かった。当時、スタート直後の金泳三政権は、民主化で軍人政権が終わり「初めての文民政権」を看板にしていた。「どこにも恥じない毅然かつ堂々とした政権」を内外に誇示しようとしていた。「日本何するものぞ!」「厳正な法執行を!」という雰囲気だった。
外国人記者に取材過程で違法行為の疑いがあったとして、自由民主主義国同士なら通常は国外追放程度だろう。逮捕・裁判にはならない。あの事件は金泳三政権の威信誇示という、とくに国内世論向けの政治的演出として〝見せしめ〟だった。
同じく民主化政権だった次の金大中政権(1998―2003年)では、今度は産経新聞が標的になった。
日本の保守派の「新しい中学歴史教科書」(扶桑社版)の検定合格を非難する反日の噴出である。出版社が産経新聞の系列ということで激しい攻撃にさらされたのだ。その際、金大中大統領の側近だった金景梓議員は、国会の質問で「産経新聞ソウル支局の閉鎖・追放!」を堂々と政府に要求した。
もちろんそうはならなかったが、日本メディアの追放話は、80年5月の「光州事件」の報道に対する全斗煥将軍ら新軍部の不満から出た閉鎖・追放以来である。左派・革新系の政権でも権力を握ると同じことが起きる。次の盧武鉉政権(2003―08年)下では筆者が危うく国外追放になりかけた。
「クロダ記者強制退去」報道
当時、筆者は自宅近くにある西江大学に頼まれ、客員教授として3年ほど日本事情を教えていた。ところがある日、左翼系ハンギョレ新聞が「クロダ記者、不法就労で強制退去も」と報道し、これが全メディアに広がった。ジャーナリスト・ビザの記者の大学講義は資格外活動で違法というのだ。
メディアが騒げば入管当局も動かざるをえない。メディアはしきりに「国外追放か?」に関心を示していたが、2回の事情聴取で科料800万ウォン(約80万円)となり事なきをえた。
メディアの狙いは、気に入らない「歴史歪曲の極右言論人」へのいやがらせ、脅しだった。筆者はそれまでに他大学でも講義をしており、客員教授もさせられたが問題は起きていない。外国人記者のボランティア的な余技が、左翼政権下の反日ムードという都合で不法就労騒ぎに仕立てられたのだ。
李明博政権(2008―13年)下のビビンバ騒動も懐かしい。官民挙げて「ビビンバ世界化キャンペーン」が展開された際、「こね混ぜで具の彩りが消えるビビンバは羊頭狗肉?」とコラムで皮肉ったところ「韓国の食文化を冒涜するクロダ妄言!」となった。
糾弾の嵐の中で、愛国青年たちが街頭で通行人にビビンバをふるまう〝ビビンバ・デモ〟まであった。メディアにはクロダ批判のビビンバ礼賛論があふれ、逆にキャンペーンに寄与する結果になったのだが。
ソウル駐在40年超。歴史認識にからむクロダ糾弾からテロ予告や、それに伴う警察による身辺警護、脅迫的な妙な薬物郵送、支局への押しかけなどいろんなことがあった。しかし「花も嵐も踏み越えて」である。今回は「花」は省いたが、日韓の特殊関係からくるこうした刺激は在韓記者の冥利といっていい。韓国は最大の反日国で実は最大の親日国でもある。だから長居ができる。
▼くろだ・かつひろ
1964年共同通信社入社 広島支局 社会部 ソウル支局などを経て 89-2012年まで産経新聞社ソウル支局長兼論説委員 現在 ソウル駐在客員論説委員 神田外語大客員教授 92年ボーン・上田記念国際記者賞 2005年には日本記者クラブ賞 菊池寛賞受賞 著書に『韓国人の発想』『日韓新考』『隣国への足跡』など 韓国語版に『韓国人あなたは何者か』『誰が歴史を歪曲するのか』など
