取材ノート
ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。
立川談志さん落語家/圧倒的 聞く 聴く 訊く力(高山 哲哉)2023年2月
「談志師匠の入り、遅れます…」。ディレクターが慌ててスタジオを駆け回る中、入局8年目で初めて立川談志さんとじかに話せることに、私は胸を躍らせていた。この日は、テレビ放送開始50年(2003年)を記念した演芸史をひもとく特別番組を一緒に進行することになっていた。
学生時代、私は談志さんに深くはまった。独演会、ホール落語会、テレビの公開収録など、百席近く足を運び、アルバイト代のほとんどは木戸銭に消えていた。「談志がまだ来てなくて…」。談志さんの遅刻は、客席で何度か体験したことがある。到着までを他の演者がつなぐ。間に合えば、出囃子に乗せて渋々袖から現れ、ムスッとした表情で座布団に着く。拍手を送りながら緊張感に包まれる客席。顔を上げると…満面の笑みで、場内に安堵の空気が広がる。マクラの前、一言も発することなく心をつかむ技に、何度もうなったことを思い出す。
「師匠入ります!」。少し眠そうな談志さんが現れた。「よろしくぅ」とつぶやくと、すぐ鋭い眼で舞台袖から客席をのぞく。スタッフの説明を聞きながら、目は舞台の隅々まで観察している。「高山さんは師匠の高座いっぱい見ているそうですよ」とプロデューサーが声を掛けた。すると「…ふーん。で、どうだ?」と、初めて目が合った。「いつも噺の中に入り込んだ心地がします」。すると「…そっか」とだけ言い残し、楽屋へ引き揚げた。
ダメな状況救うのが笑い
地方の小さな町で生まれ育った私にとって、お笑い番組が流れるテレビやラジオは、まるで宝石箱だった。人を笑わせることに興味はあったものの、身近にそれを教えてくれる人はいない。怒らせたり悲しませたりすることほど簡単ではない〝笑い〟とは何だ。中学の時に手にしたのが立川談志さんが書いた『あなたも落語家になれる~現代落語論其二~』。落語とは「人間の業の肯定を前提とする一人芸」という定義にハッとした。ダメな人を笑うのではなく、ダメな状況を救うプロセスに笑いが宿る。深い世界と感じ、落語の起源を学んでみたいと、私に上京を決意させた。
茶目っ気ある脱線 会場熱く
「まもなく本番です」。舞台監督の声でスタジオに戻ってきた談志さん。優しい目で「何でも聞いていいから」と私にささやいてから、ステージへ。懐かしの名人上手に「狂気だねぇ」「掛け合いがメロディーだ」と、小気味よくコメントを添え、収録は進む。徐々に興奮する客席。私も嬉しくなって、いい調子でアドリブを連発。すると「…おい!」。ハタとこちらをにらむ談志さん。「リズムいいな…お前さんとなら、漫才やってもいいな」。茶目っ気ある脱線が、会場をさらに熱くした。
あっという間の2時間。談志さんのそばにいて、感じたことがある。それは、高度な話術にも勝るとも劣らない、談志さんの圧倒的な聞く力。もっというと、聴く・訊くも駆使した、利く・効くをもたらす表現力だ。「世の中便利になる一方で、夜は怖くなくなったし、携帯ですれ違いもなくなりゃあ、貧乏人も減っちゃった。不安や憂さを話芸が晴らしてきたけど、これからはどうしたもんか…まぁ頑張っていきますよ」。その言葉通り、時代の変化も具に捉え、気迫と執念で最後の最後まで落語と一体となることへの挑戦を続けた談志さん。亡くなって12年。私の心に焼き付いたあの眼光は、今なおまぶしい。
(たかやま・てつや 1996年NHK入局 「紅白歌合戦」や「歌謡コンサート」など担当 現在 名古屋局でシニア・アナウンサーとして夕方のニュースキャスター)