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高知県唯一の女性首長・池田牧子さん/夫の死乗り越え、町長に(井上 大作)2019年7月

 立場上、多くの地元の人と出会うが、池田牧子さん(61)は、南国土佐にあってまばゆい光を放つ人物だった。

 高知市に隣接した、いの町(約2万3000人)の町長を2016年から務める。高知県内34市町村で唯一の女性首長。新聞記者として最初はそこに関心を抱いたが、その半生の一端を知り、改めて深く聞いた。

 池田さんは42歳の時、同い年の夫・勇さんを脳腫瘍で亡くした。2人はともに高知出身。関西の大学に進学後、友人を通じて知り合った。24歳で結婚し、船舶クレーンメーカーに就職した勇さんの転勤先の大阪で暮らしていた。順風満帆の中、32歳の勇さんを病魔が襲った。悪性度の高い脳腫瘍「グリオーマ」と診断され、余命2年と宣告された。夫と幼い子2人を連れて高知に戻り、かつて正職員として働いた旧伊野町で臨時職員として働き始めた。

 私事だが、池田さんと出会う数カ月前、高知に住んでいた義理の母をグリオーマで亡くした。土佐では元気でやり手な女性を「はちきん」と呼ぶが、彼女も南国らしいきっぷの良さを感じさせる人だった。私は、そんな母の姿を池田さんに重ねたのかもしれない。

 

■介護、子育てで苦しい日々

 

 池田さんは夫の介護、子育てを続けながら、町職員として保健師らと全国各地を視察。介護の先進事例を学び、町の特別養護老人ホームの所長も務めた。「子どもの世話は先が見える。でも介護はどこまで続くか分からない。日に日に重くなっていく、出口のないトンネルのようでした」と振り返る。苦しい日々の中、自宅をバリアフリーに改修、行政の制度もフル活用。在宅介護にこだわったのは、成長していく子どもの姿を夫に見せたかったからだ。

 「誰もが自分らしく暮らせる町にしたい」と町長選に挑戦。最初は届かなかったが、2回目で当選を果たした。「障害があってもその人らしい生き方はできる。本人が死ぬまで家にいたい、自分の好きなものに囲まれたいと願うなら、その意志を尊重したい」

 

■川の流れのように自然体

 

 女性の登用を巡っては「ガラスの天井」が注目される。地方の政界や自治体では今も男性偏重の傾向がある。それでも池田町長は「女性だから、男性だからという意識はない。できることをできる人がすればいい」と語る。結果的に女性管理職は全体の3割を超えるまでに増えた。人件費削減が公民ともに吹き荒れる中、無人だった役所入り口の総合案内に臨時職員を置いた。高齢化が急速に進む地方で、住民への温かい心遣いを忘れないためという。

 その物腰は柔らかい。宴会が日常茶飯事の土地柄で、ロックの焼酎を何杯飲んでも顔色は変わらない。自身より若い近隣首長からは「姉さん」と慕われる。趣味は書道。土佐和紙の産地でもあり、小学校1年で始めた。最初の選挙で落選した後、30年ぶりに再開したといい、墨の匂いに心を落ち着かせる。

 役場近くには仁淀川が悠々と流れる。するべきことをするだけ、と語るリーダーは、川の流れのように自然体だ。「夫のことがあったから今の私がいる。夫のおかげでいろんな人と知り合い、成長できた」。まばゆい光の影には、人知れない悲しみがあった。

 

(いのうえ・だいさく 毎日新聞社高知支局長)

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