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ルツェルン音楽祭(酒井 寛)2005年11月

 旅というほど旅情はないのですが、この8月、スイスの「ルツェルン音楽祭」へ行ってきました。ミーハー流にいえば、指揮者の「追っかけ」をしたわけです。
 音楽祭は、音楽会のチケットとホテルの両方を確保する必要があるので、いつも団体旅行になるのですが、今回、参加したのはわが夫婦二人だけ。なんだかケチをつけられた感じで、いいようなわるいような事態でした。同じ町の同じホテルに1週間ほど泊まって、そのまま帰ってきました。

  ホテルのわきの小さな桟橋から、夕方、湖を渡って音楽祭会場へ直行する臨時の遊覧船が出て、盛装した紳士淑女が三々五々乗り込む光景は、いいものでした。私は動脈硬化対策で医者から歩け歩けといわれているので、向こうに見える会場まで、湖のほとりを往復とも歩きました。
  オープニングの演奏会は、彼アバドの時代は終わったかと、ちょっとさびしい気持ちで、そんな話をしながら帰ってきましたが、翌日は、指揮者が替わってマーラーの4番、大満足しました。
  午後8時半近いのにまだ明るい湖畔の一角に公園があり、野外音楽堂のようなステージがあって、ブラスの演奏会をしていたので、うしろのほうのベンチでしばらく聴いていました。避暑地の気分万点です。
  国内でも国外でも、音楽会が終わったあと晩ご飯をどうするかが最大の問題です。私は胃を切ってからすぐ満腹になるので、小腹ができる(こんな表現あったかな)程度、つまりソーセージ1本とジャガイモくらいがいい。団体なら旅行社の人が面倒をみてくれますが、2人だけなので、どこで何を食べるか、いちいち考えなければならず、それがきまらないと、おちついて音楽も聴けません。
  ホテルの食堂は、白みそのソースをかけた、メニューによるとウドンヌードル(じつは、そうめんとはるさめ)入りの甘口のグリーンサラダを食わせて、「うちのシェフは創作料理が得意で」とかいうので、勝手にしやがれと、行くのをやめました。

  音楽会のない日、朝から雨が降っていたので山行きをやめ、予約していたガイド(日本人女性)といっしょに列車でインターラーケンへ行き、日本語の看板を出している食堂に入って、みんなで天ぷらうどんを食べました。薄味で、天ぷらも本格的。日本で修行したスイス人の料理人だそうです。
  ルツェルンの下町で、「フォンデューで元気を出そう」だったか、日本語の手書きの看板を立てかけている店があり、入ったら、隣の席にきた中年のアメリカ人男女が、けさ日本で大きな地震があったようだがと心配してくれて、見ると、フォンデュー鍋の中で溶けたチョコレートが煮えている。エエッ! といったら、食べるかというので、ノーサンキューにしました。
  地震よりも、8月15日に小泉首相が靖国神社へ行ったかどうかが気になって、雨の中をわざわざバスに乗って駅まで行き、日本の国際衛星版を探して売店をうろうろしました。がんばる首相がいると庶民はのんびり旅もできないよ、とこぼしながら。ついでに、晩めし用のサンドイッチも買いました。

 あのときも雨でしたが、東京に帰ってきたら、ルツェルン近郊が長雨で大洪水、救援ヘリが観光客をつり上げているとテレビが伝え、驚きました。
  11月に入って、サントリーホール20周年記念の音楽会(来年)の予定表が送られてきて、10月に「クラウディオ・アバド指揮ルツェッルン祝祭管弦楽団が初来日」とありました。(2005年11月記)
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