2019年02月20日 17:00 〜 18:15 10階ホール
金子兜太さん一周忌会見/試写会「天地悠々 兜太・俳句の一本道」

会見メモ

2月20日は俳人の金子兜太さんの一周忌。晩年の金子さんを追ったドキュメンタリー映画「天地悠々 兜太・俳句の一本道」の河邑厚徳監督と、俳人の黒田杏子さん、作家の下重暁子さん、嵐山光三郎さんが、金子さんへの思いを語り合った。

司会 瀬口晴義 日本記者クラブ企画委員(東京新聞)


会見リポート

他界してなお存在感

佐々木 亜子 ( 読売新聞社文化部専任次長)

 日経俳壇選者を務める黒田さんのもとに、この1年、金子兜太を詠んだ句が届かない週は一度もなかったという。「どんな有名人でも投句は亡くなって3週間くらい。ずっと続いているのは前代未聞」と黒田さんは驚く。

 俳壇での兜太の存在はそれほど大きい。いや、俳句の世界だけにとどまらないだろう。

 1919年、埼玉県に生まれた金子兜太は、東京帝大経済学部を卒業し、日本銀行に就職。戦争で海軍主計中尉としてトラック諸島へ赴いた体験が、後の俳句人生の原点となる。復職した日銀で組合活動に力を入れ、出世コースから外れたことはよく知られている。

 戦争を見据え、人間を観察した句を作った兜太の出現を、下重さんは「一つの事件」ととらえ、「俳人という言葉ではピンと来ない」と話した。加藤楸邨から兜太を紹介されたという嵐山さんは、日銀内で兜太と初めて会った。その俳句の特徴を「放る、投げつける、モノとしてどんと置く感じ」とつかんだ。

 亡くなる2週間ほど前に、兜太は最後となった9句を原稿用紙に清書し、家族に渡した。〈河より掛け声さすらいの終るその日〉は、その中の一句だ。

 河邑監督は「人の命は自分の中に生きている。金子さんは過去になっていない」と語る。

 映画は、秩父やトラック諸島などの光景と代表句を交えて、兜太を映し出す。冒頭、母と写真に納まる幼い姿が印象的。〈長寿の母うんこのようにわれを生みぬ〉。生きることの根源的な意味を問うかのように、映像は繰り出されていく。最後のインタビューとなった2018年2月6日。顔の色つやがよく、表情は穏やか。他界とは、文字通り、ほかの世界へ行くことだと身をもって伝えるような存在感である。

 

 

 


ゲスト / Guest

  • 嵐山光三郎

    作家

  • 河邑厚徳

    映画監督

  • 黒田杏子

    俳人

  • 下重暁子

    作家

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