会見リポート
2018年07月02日
14:00 〜 15:30
10階ホール
「平成とは何だったのか」(6) 五味廣文・元金融庁長官
会見メモ
平成の金融行政の30年を10年ごとに区切り下記のように分析した。
① 昭和の負の遺産をなんとかしようとした10年(バブルの崩壊から公定資金投入まで)
② 金融危機への対応で覚悟を決めた10年(金融システムの安定のため不良債権問題の最終処理)
③ 平成以降を見据えてがんばった10年(非常時から平時の行政への切り替え)
司会 藤井一明 日本記者クラブ企画委員(日本経済新聞)
会見リポート
「危機、覚悟、平時」で総括 “金融機能育成庁”目指せ
吉田 憲司 (産経新聞経済本部長兼経済部長)
昭和の負の遺産を引き継いだのが平成だった―。その「昭和の置き土産」がもたらしたのがバブル崩壊だ。そこから長いトンネルに突入した日本経済は、未曾有の金融危機に見舞われ、その最前線で金融行政の舵取りをしたのが五味さんだ。
五味さんは平成を3つの時代に区切る。バブルが崩壊し、日本長期信用銀行や山一証券など大手金融機関が破綻・廃業するなど金融危機が顕在化した最初の10年。「ちょっと様子をみれば、土地価格は戻ってくる」。金融業界や官にはそんな甘い見通しがあったと振り返る。
会見で五味さんが紹介したエピソードはいかに危機管理が重要かを物語っている。バブル崩壊後、当時の宮沢喜一首相が金融機関は先行きが大変な状況にあり、公的な資本増強の道を開いておいたほうがいい、と提案したというのだ。この案は政治的な理由などから実現しなかったようだが、この時点で制度化されていれば、その後の金融の歴史は変わっていたかもしれない。
次の10年は「覚悟を決めた10年」。その覚悟とはシステミックリスクを顕在化させずに銀行を実質的に破綻させることだった。もはや銀行を救済することでシステミックリスクを予防するという従来のやり方は通用しなくなっていたという。結果的にこの「覚悟」は不良債権問題の解決につながったのだ。
そして今日までに至る10年。金融行政の主眼は「非常時の行政」から「平時の行政」へと移った。金融行政も金融業界も非常時の対応がDNAとして染みついており、「体質は変わらなかった」と指摘する。
ITと金融が融合したフィンテックの登場などで激変期を迎えている金融業界。今や金融の担い手は金融機関だけではない。金融機関処分庁から金融機能育成庁へ―。五味さんは最後に今後の金融行政の進むべき道をこう示した。
ゲスト / Guest
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五味廣文 / Hirofumi Gomi
元金融庁長官 / former Commissioner of the Financial Services Agency
研究テーマ:平成とは何だったのか
研究会回数:6