2017年11月16日 13:00 〜 14:00 9階会見場
現代俳句協会 会見 「俳句から見た戦後の日本社会」

会見メモ

70周年を迎えた現代俳句協会の宮坂会長が俳句と戦後を振り返り、宇多特別顧問と安西顧問が昭和2030年代の句を紹介した。「現代俳句にとって平和だったことが一番だ」(宮坂)。「俳句という個人の記録が社会の記録になっている」(宇多)。「ネット俳句会が増えているが、対面交流の楽しさを知って欲しい」(安西)

 

司会 瀬口晴義 日本記者クラブ企画委員(東京新聞)

  

 配布資料(会見で紹介された句も掲載されています)

現代俳句協会

 

写真左から 安西篤さん、宮坂静生さん、宇多喜代子さん


会見リポート

俳句とは時代状況に鋭敏に反応した文芸

森原龍介 (共同通信社文化部)

 戦後間もなく、俳壇では戦時体制に協力した長老が影響力を保持していることへの反発が募っていた。そんな中で、中堅、若手の俳人が中心となって創設された現代俳句協会は、まさに「戦後俳句の出発点」だった。

 

 今年70周年を迎えた現代俳句協会。記念式典を目前に控えて行われた記者会見で、宮坂静生会長は「俳句における社会性が戦後俳句の重要なテーマになった」と強調した。ただあるがままの自然や季節の変化を詠むのではなく、社会的な存在としての人間そのものを見つめる姿勢がそこには求められた。顧問の安西篤さんは「戦後俳句は、社会性の自覚に立った自己表現を目指した。自然の客観写生にとどまらず、人間の社会的生活、内面をも表現しようとした」と総括する。

 

 前会長の宇多喜代子さんは「個人の事情、考え、記録が、振り返ると社会の記録になっている」と語る。時代ごとの作品を追っていくと、戦後社会の実像が浮かびあがってくる。例えば、西東三鬼の〈おそるべき君等の乳房夏来る〉について、宇多さんは「もんぺを脱いだ女性たちが自由を得て街を闊歩するようになった」と、その背景を解説する。戦後の日本で人々が感じたであろう解放感が、身体感覚に訴えかけるように伝わってくる。

 

 「俳句は時代状況に鋭敏に反応した文芸」と安西さんは言う。俳句の言葉はスローガン的に反戦や平和を訴えるものではない。だからこそ、時代を超え、普遍性を帯びて遠くまで言葉が届く。その力が発揮されたのは、戦後直後だろう。協会名誉会長の金子兜太さんは、いち早く戦死者への鎮魂を詠んでいる。南洋を離れる際の〈水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る〉がそうだ。安西さんは、戦後俳人の特徴に「自分の生の背後に無数の死者がいる」との死生観があると指摘した。

 

 近年、俳句の言葉の普遍性を強く印象づけたのは東日本大震災かもしれない。伊藤雅昭さんの〈除染とは地べた剥ぐことやませ来る〉や、高野ムツオさんの〈泥かぶるたびに角組み光る蘆〉など、東北に生きる多くの俳人が無数の死や原発災害の悲しみと向き合った。彼らの言葉を、宮坂会長は「京都や東京でできあがった洗練されたフィクショナルな美しい言葉ではなく、日常の生の言葉に自分の思いを託している」と評価した。

 

 会見を通して、戦後俳句から震災詠まで、社会、歴史、そして人の生と死と向き合ってきた戦後俳人の背骨が見えてくるような思いがした。


ゲスト / Guest

  • 宮坂静生

    日本

    現代俳句協会会長

  • 宇多喜代子

    日本

    現代俳句協会特別顧問

  • 安西篤

    日本

    現代俳句協会顧問

研究テーマ:俳句から見た戦後の日本社会

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