2016年02月10日 16:00 〜 17:00 9階会見場
「3.11から5年」⑥ 名取市の海岸林再生プロジェクト

会見メモ

名取市で津波で失われた海岸林の再生に取り組むプロジェクトについて会見し、記者の質問に答えた。
左=櫻井重夫「名取市海岸林再生の会」副会長 右=吉田俊通公益財団法人オイスカ啓発普及部副部長
司会 石川洋 日本記者クラブ企画部長
海岸林再生プロジェクト


会見リポート

被災農家と共に海岸林再生めざす

土生 修一 (日本記者クラブ事務局長)

宮城県南部の沿岸には、伊達政宗の時代から農地を守るために造成された海岸林が存在した。海岸林は太平洋から吹き付ける風を防ぎ、塩や砂が農地に入り込むのを食い止めてきた。しかし、400年にわたって大事な役割を果たしてきた海岸林は、東日本大震災の津波で壊滅的な打撃を受けて、あらかた姿を消してしまった。

 

この消えてしまった海岸林を復活させる取り組みが、仙台空港のある名取市の「海岸林再生プロジェクト」だ。

 

この日の会見には、技術面や資金面などでこのプロジェクトの「エンジン」役を果たしている公益財団法人「オイスカ」の吉田俊通さんと、地元農家で「名取市海岸林再生の会」副会長の櫻井さんが登場した。

 

吉田さんが、よく通る声でプロジェクトの進行状況を説明した。

 

オイスカでは大震災の翌月には航空調査で海岸林の被害を調査し、10年をかけて全長5キロの海岸に50万本のクロマツの苗木を植えて100haの海岸林の復活をめざす壮大な計画をたてた。

 

2012年には種をまき、苗を育て、14年には初めて植林を行った。これまでに13万本が海岸に植えられ、その98%が順調に育っているという。

 

このプロジェクトでは育苗、育林などの作業に被災農家の人たちを雇用している。その収入を農業復興につなげてもらおうというわけだ。2014年度だけで1402人を雇用したという。

 

その一人である櫻井さんは、「震災前は、米のほかにメロン、キュウリ、小松菜などを作っていたが、津波でみんなダメになった」と振り返る。それでも、辛抱強く整地作業を続け野菜栽培の再開にこぎつけた。「経済的不安もあったが再生事業で収入を得ることができて助かっている」と訥々と語った。被災当時の辛さ、再生に向けた苦労と手ごたえなどが一度に脳裏に浮かんだのか、感極まって言葉を詰まらせる場面もあった。

 

吉田さんは「最初は、オイスカってナンスカ、と言われていたが、再生計画を説明したらみなさん理解して信用してくれた。再生プロジェクトの総事業費10億円は民間からの寄付で集める予定。4億円は集まったが、まだ先は長い。寄付とボランティアを呼び掛けていきたい」と語った。


ゲスト / Guest

  • 吉田俊通 公益財団法人オイスカ啓発普及部副部長 / 櫻井重夫「名取市海岸林再生の会」副会長 / Toshimichi Yoshida, OISCA Japan / Shigeo Sakurai, Local Farmer, Natori City

    日本 / Japan

研究テーマ:3.11から5年

研究会回数:6

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