2014年04月16日 13:00 〜 14:00 10階ホール
佐藤仁 宮城県南三陸町長 記者会見

会見メモ

宮城県の佐藤仁・南三陸町長が会見し、現況や国への要望などについて話した。「いつかくる大災害のとき、また我々と同じ思い、この3年間の苦労を味わわせたくないという思いで活動している」と語った。

司会 露木茂 日本記者クラブ企画委員


会見リポート

復興スピードには「柔軟性と政治の主導」

嶋沢 裕志 (日本経済新聞編集委員)

東日本大震災で気象庁の第一報(6メートル)をはるかに上回る12メートルの津波に襲われた南三陸町。1960年5月のチリ地震の津波で41人が亡くなった同町では毎年避難訓練を行い、過去の津波が伝承され、高さ5・5メートルの防潮堤も設置された。


「残念ながら訓練と言葉では伝えられなかった」と佐藤町長は語る。被害者は死亡者625人・行方不明者199人で、全町民の4・6%。全家屋の7割弱、3300戸が損壊した。浸水した防災庁舎の屋上で一夜を過ごし、翌日から体育館内に災害対策本部を設けて指揮、情報発信を続けた首長のリーダーシップを感じさせる会見だった。


「水産の再生なくして町の再生はない」と、被災の半年後には仮設市場も建設。また高台移転、職住分離を柱とする復興計画を策定し、高台に28の団地を造るという。


最も印象に残ったのが「復興のスピード」に関する問題提起だ。高台の土地を買収しようにも登記が明治・江戸時代に遡る所もあり、全国に散った相続人自身が地権者と知らないことも多い。


「復興に制度を合わせてほしい」と復興庁にもあえて注文をつけた。職員は出身省庁の制度の逸脱に慎重で、高騰している工事価格の査定も厳格。復興のスピードに大事なのは柔軟性と政治の主導、と訴えた。「われわれの苦労を味わわせたくない」真摯な気持ちが伝わってきた。


ゲスト / Guest

  • 佐藤仁 / Jin Sato

    宮城県南三陸町長 / Mayor of Minamisanriku Cho, Miyagi Prefecture

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