1991年04月19日 00:00 〜 00:00 10階ホール
ミハイル・ゴルバチョフ・ソ連大統領

会見メモ

■クラブ史上初 深夜になったゴ会見

・・・日本記者クラブ始まって以来という出来事になった4月19日未明のゴルバチョフ・ソ連大統領記者会見。時間をものともせず、満場を埋めた290人の出席者が熱心にゴ大統領と質疑を交わしました。この模様はNHK、民放各社を通じて、国内、ソ連はもとより世界各国にも流され、世界に向けてのニュース発信源として、クラブの評価を不動の地位に高めたといえます。
同大統領の記者会見はクラブが半年以上もかけて準備してきたものでしたが、6回とも8回(ソ連側)ともいう首脳会談のあおりを受け、一時は開催が危ぶまれる事態になりました。しかし、ゴ大統領が「私にとってはどうしてもやらねばならなかったこと」と、会見終了後漏らしたように、大統領の強い希望と、当日司会を務めた犬養副理事長らクラブ役員の「何時になろうが受ける」という決意から実現したものです。・・・
・・・驚嘆させられたのは、ゴ大統領のタフネスぶりと卓抜したパフォーマンス。強行日程の疲れも見せず、1時間15分の会見をこなし、受付の女性事務局員達に近寄り「遅くまでご苦労さま。疲れたでしょう」とねぎらいの声をかける場面も。帰りがけには「今日の出席者は皆ソ連に好意的で幸いでした。ダスビダーニャ」と極めつけのゴルビー・スマイル。・・・
クラブ会報1991年5月号1ページから引用)

 

異例ずくめの“ゴルビー会見”は、クラブ史上初の深夜の記者会見となった。当初予定の4月18日午後4時15分開始が、予定より8時間遅れ、日付が変わってようやく始まった。終了までの動きを追ってみると―――――
クラブ会報1991年5月号8ページ冒頭から引用 写真付きの特集記事があります)

 

~~クラブウェブサイト・特記すべき記者会見から~~~~~~~~~~~~~~~
ペレストロイカとデタントを推進し、マルタでのブッシュ大統領との会談で、冷戦に終止符を打ったゴルバチョフ大統領の会見は、海部首相との北方領土問題をめぐっての6回とも8回ともいわれる首脳会談のあおりを受け、予定より8時間遅れの未明の記者会見となった。ライサ夫人とともに午前0時30分過ぎに到着し、1時間15分の会見をこなした大統領は、帰りにエレベーターの中で白木事務局長に、「この会見は、私としてはどうしてもやらねばならなかったこと」と述べ、クラブがこうした機会を準備してくれたことに感謝の意を表した。
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会見詳録

会見音声


ゲスト / Guest

  • ミハイル・ゴルバチョフ / MIKHAIL GORBACHEV

    大統領 / President

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