日本記者クラブでは特筆すべき行事として、これまでに次のような会見を行いました。
フォード米大統領昼食会 1974年11月20日

戦後初の米現職大統領の訪日であった。米国の大統領が訪問先の外国で、公式のプレスミーティングを行ったことはないといわれていたので、クラブが申し入れをしても、それが受け入れられることはないだろうというのが、当初の大方の見方だった。だが、クラブは、この訪日が、わが国の国民にとって大きな意味を持つとの認識で、9月に外務省を通じ昼食会の申し入れをあえて行い、渡辺誠毅理事長名で大統領宛に招請状を届けるなどした結果実現したもの。帝国ホテル「富士の間」で行われたこの昼食会は米国へも生中継された。
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天皇・皇后記者会見 1975年10月31日

昭和天皇と香淳皇后が戦後初めて米国を公式訪問し帰国したのを機に、両陛下の記者会見が皇居「石橋の間」で当クラブ主催で行われた。従来、天皇・皇后から宮内庁詰めの記者たちが話を聞き記事にはしていたが、宮内庁側はこれを記者会見とは認めていなかった。しかし、この記者会見以後宮内庁の態度も変化し、現在は内外プレスが参加する皇室の公式会見も定着している。天皇は、この会見で初めて戦争責任や広島の原爆投下関連の質問に答えた。
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鄧小平中国副首相記者会見 1978年10月25日

従来、中国要人は、国内はもとより訪問先の外国でも「中国にはそのような習慣がありませんので」と言って、記者会見に応じなかった。が、最高実力者・鄧小平氏が当クラブの記者会見で千両役者ぶりをいかんなく発揮して以来、続々他の中国要人も内外で西側スタイルの記者会見を行うようになった。この後来日した華国鋒、趙紫陽、李鵬、胡耀邦、江沢民、彭真、朱鎔基といった人々もことごとくクラブの招きに応じ記者会見を行った。
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大平正芳首相昼食会 1979年1月22日
1979年1月22日に行われた大平正芳首相の昼食会で、酒井新二理事長が、有名なジェファーソンの言葉を引いて、”政治同様にマスコミに対する批判が高い中で、プレスとしては充分自制して報道活動にあたらなければならないと考えているが、この機会に新総理の政府とプレスの関係についての見解をうかがいたい”としたのに対して、大平首相は「自由は寛容によって支えられている財産だ」として次のようにその考えを示した。
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「自由は寛容によって支えられている財産」
とっさのおたずねでございまして、どのようにお答えしていいか、当惑をいたします。だた、私は日頃からプレスの、取材の自由、報道の自由というもの、これは政府にとって相当やっかいなものであることは間違いはございませんけれど、それだけにデモクラシーを支える大きな柱だと思っています。
従って、われわれは真剣にプレスの取材に対しましては応えなければならないし、その批判に対しましては充分にエリを正していかなればならんものと思います。しかし、いま、酒井さんがプレスの側においてももちろん自制がなければならんという趣旨のことをおおせられましたことは、大変ありがたいことでございます。
自由というものは他者に対する寛容によって支えられている尊い我々の財産でございます。政府も、プレスの方も、双方ともそういった共通の自制をこころえて、お互いに対処いたしたいものと考えております。
五党党首公開討論会 1990年2月2日
第39回総選挙に際し、5党党首連名での依頼状を受け、水上健也理事長は党首討論会を主催した。公示日前日、海部自民党総裁、土井社会党委員長、石田公明党委員長、不破共産党委員長、永末民社党委員長が出席して行われ、NHK、民放全キー局によって生中継された。この種の公開討論会は1960年の「三党首テレビ・ラジオ討論会」以来30年ぶり、また、1972年11月にNHKが行った「五党党首討論会」以来18年ぶりのことだった。クラブはこの後、国政選挙での討論会開催を定例化していった。
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依頼状
衆議院が解散になり国民注視の総選挙が行われることになりました。
90年代の国政の命運を決する総選挙に臨むにあたって、われわれ衆議院に会派を有していた五党としては、公党として各党の今後の政治課題についての考え方を国民に明示し、判断を求めることが極めて重要かつ有意義であると考えます。
そこで、各党間で連絡をとったところ、この際各党党首による公開討論会を開催するとの合意をみました。
つきましては、この討論会は公平かつ公正に運営されることが必要であることに鑑み、貴クラブ主催でこれを行うことが最も望ましいことと存じ、ここに各党連名をもってご了承、ご協力方お願い申しあげます。
なお、討論会は2月2日(金)に行いたく存じますが、時間、場所、運営、方法などにつきましては貴クラブにご一任いたします。
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◆国政選挙における党首討論会
●「9党党首に聞く」(1993年7月2、3日)
●「6党党首討論会」(1996年10月7日)
●「7党党首討論会」(2000年6月12日)
●「7党党首討論会」(2001年7月11日)
●「6党党首討論会」(2003年10月27日)
●「5党党首討論会」(2004年6月21日)
●「6党党首討論会」(2005年8月29日)
●「7党党首討論会」(2007年7月11日) 会見詳録PDF
●「6党党首討論会」(2009年8月17日) 会見詳録PDF
●「9党党首に聞く」(2010年6月22日) 会見詳録PDF YouTube① YouTube②

写真:2010.6.22 9党党首に聞く
ゴルバチョフ・ソ連大統領記者会見 1991年4月19日

ペレストロイカとデタントを推進し、マルタでのブッシュ大統領との会談で、冷戦に終止符を打ったゴルバチョフ大統領の会見は、海部首相との北方領土問題をめぐっての6回とも8回ともいわれる首脳会談のあおりを受け、予定より8時間遅れの未明の記者会見となった。ライサ夫人とともに午前0時30分過ぎに到着し、1時間15分の会見をこなした大統領は、帰りにエレベーターの中で白木事務局長に、「この会見は、私としてはどうしてもやらねばならなかったこと」と述べ、クラブがこうした機会を準備してくれたことに感謝の意を表した。
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「10.1 法の日」記者会見 2007年10月1日」

写真:右から島田仁郎最高裁長官、大谷剛彦最高裁事務総長、平山正剛日弁連会長、但木敬一検事総長
裁判員制度は2009年5月にスタートする。実施まで1年半と迫った2007年10月1日の「法の日」に、島田仁郎最高裁長官と、裁判所、検察庁、弁護士会の法曹三者のトップが一堂に会し、初めて共同会見を行った。まず島田最高裁長官が国民へのメッセージを発表、続いて、 大谷剛彦最高裁事務総長、但木敬一検事総長、平山正剛日弁連会長 がそれぞれの立場から裁判員制度導入の意義を訴えた。
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