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発達障害のコウ君/書き込む、共感広げるために(左古 将規)2021年9月

 「取材を通じて心に残る『ある人』との思い出を書く」という今回のお題をいただいて、誰のことを書くか迷った。番記者として密着した橋下徹さんのことは半年前に毎日放送の先輩記者がこの欄で書いていた。他に自分が取材した著名人と言えば、マレーシアのマハティール元首相か(取材当時90歳だったが元気で驚いた)、大阪桐蔭高校野球部の西谷浩一監督か。

 

■音が苦痛 感謝の言葉は黒板に

 

 いや、それよりも誰よりも、ちょうど10年前に記事にした発達障害の男の子、コウ君(当時12)のことを書きたいと考えた。

 発達障害や自閉症。よく耳にする言葉だが、実際にどんな人たちが、どんな思いをしながら日々生きているのか、知りたいと考えていた。当事者団体や親の会などを訪ね歩く中で出会った一人が、当時小学6年生のコウ君だった。

 コウ君は幼稚園のころからよく泣いて友達とトラブルになった。小学校に入ると鍵盤ハーモニカなど周りの「音」が苦痛になった。聴覚過敏という症状だ。

 小1で広汎性発達障害と診断された。特別支援学級に移り、理解のある担任に出会った。小学校卒業の日、感謝の言葉を口では伝えられなかったが、黒板に「忘れません」と書いて担任を泣かせた。でも、中学校に入ると不登校になってしまう。

 朝日新聞の教育面で15回、彼のことを連載した。後にアフロヘアの編集委員として有名になった稲垣えみ子さんが担当デスクで、「15回は長いので2部に分けて二人の子どもを取り上げたい」「最終回は有識者インタビューで締めくくりたい」といった私の提案はことごとく却下された。「最後までコウ君一人の話で書き切りなさい」と毅然と指導してくれた。そのおかげで、彼の物語を細かくディテールまで書き込むことができた。

 読者からいただいたメールやファクスは100通を超えた。教育面が休載の月曜日には「なぜ連載が載っていないのか」という電話が30件以上あったと聞いた。「コウ君のことを応援したいと思いました」という感想が嬉しかった。

 

■「迷惑かけてるんと違うかな」

 

 コウ君の魅力は、生き生きとした言葉にあった。本人と母親の許可を得て取材中の会話をすべて録音し、一言一句書き起こした。

 「僕が教室に行くと、クラスのみんなが気を使って静かにしてくれるねん。僕、みんなに迷惑かけてるんと違うかな」。聴覚過敏のコウ君のために、教室の机の脚には消音用の毛布が取り付けられていた。「コウ君は大きい音が苦手だから、気を使ってあげてね」と先生は他の子どもたちに指導していた。コウ君はそんな周囲の気遣いに気づき、恐縮する優しい人だった。

 取材が終わりに近づいたころ、「コウ君のこと、少しは理解できたかな」と聞いた私に、彼は言った。「人のことなんてそう簡単に理解なんかできへんし。簡単に理解できたらいいのにね」

 連載は、彼が中1で不登校になったところで終わった。その後も年賀状のやりとりを細々と続けてきたが、この原稿を書くために久しぶりに連絡を取った。この10年、いろんなことがあったが、この春、IT企業に就職したという。元気に通勤していると聞き、自分のことのように嬉しかった。

 批判や対立が渦巻く世界に、理解や共感を広げるのはメディアの大切な役割の一つだと考え、これからも仕事を続けたい。

 (さこ・まさのり 朝日新聞社大阪本社メディアビジネス第1部)

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