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りそなホールディングス会長・細谷英二さん/銀行の常識壊した魂のバンカー(大林 尚)2020年7月

 りそなホールディングスの細谷英二会長と正面切って話したのは、2012年8月の一度きり。病魔に斃れられる三月(みつき)前だった。

 さん付けで呼ぶ間柄ではないが、それをお許しいただきたい。りそなを銀行業界の異端児として再生させた魂のバンカーが遺した日本人への警句を間近に聞いた自負からだ。

 細谷さんの名を知ったのは03年の初夏、ある官僚OBと雑談していたときだ。場所はOB氏の天下り先の執務室。昼に差しかかり、OB氏は応接セット脇のテレビをつけ、ニュースにチャンネルを合わせた。流れてきたのが「経営再建中のりそな会長に細谷JR東日本副社長」という速報だ。

 

■国鉄マンがなぜ破綻銀行に

 

 税金を元手とする2兆円の資本増強をりそなが政府に申し出たタイミングで、小泉政権が経済界の重鎮の助言を受けて決めた人事だと、のちに知った。そのときは、OB氏も私も「細谷WHO?」だった。なぜ国鉄マンが、などと話した覚えがある。

 果たして、細谷さんは金融史に刻まれる経営改革を遂げた。目指したのは、銀行の常識の否定だ。りそなの全従業員が個人客の気持ちを知ることから、それは始まった。

 客は立って書類を書かせられるのに、窓口のテラーはなぜ腰掛けたまま応対するのか。まだ陽が高い午後3時に、なぜシャッターを下ろすのか。

 原点は国鉄時代の蹉跌にあった。万年赤字に誰も疑問を抱かず、乗客離れに有効な手を打たない。莫大な債務を国民負担で棒引きにしてもらい、分割民営化を経てようやく自分たちの不作為を知った。

 

■本社は下町の雑居ビル

 

 経済界の人脈が活かされた。同じ時期に経済同友会の副代表幹事をつとめた渡邉正太郎・元花王副社長を、りそなの社外取締役に呼び寄せ、マーケティングの伝道師に徹してもらった。

 支店の閉店時刻は午後5時に延び、客が順番待ちに苛々することは少なくなった。

 写真でみる細谷さんは涼しげな顔をしているが、改革への内なる思いは沸点を保っていたのだと思う。

 東日本大震災の発生後、経済同友会は被災地で夏季セミナーを開いた。12年7月、会場になった盛岡のホテルに細谷さんは病を押して現れ、「決断する政治への挑戦」と題したセッションをリードした。末期症状を呈していた民主党政権の政治手法に対し「日本の課題解決力は劣化した」と断じた。取材者として聞いていた私は「細谷さんの思いを日経の読者に伝えたい」と、インタビューを願い出た。

 指定された日の朝、りそなホールディングス本社へ向かった。地下鉄木場駅近くのショッピングモールに隣り合う巨大な雑居ビルに間借りしているのを知ったのは、そのときだ。

 細谷さんは静かに語った。

 「今は国民に税負担を納得してもらうのが政治家の仕事だが、そのような政治家は選ばれにくい。必要な税負担を免れているという点で、国民もまた既得権益に甘んじているのではないか」

 当時5%だった消費税率は、今やっと10%だ。

 長時間の取材は避けてほしいと、秘書に言われていた。インタビューを終え、私が席を立ちかけると「この夏はだいぶ調子がいいので、久しぶりの家族旅行を楽しみにしているんですよ」と、おだやかな顔で話した。享年67。

 

(おおばやし・つかさ 日本経済新聞社上級論説委員)

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