取材ノート
ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。
オホーツク海流氷調査に同行した北杜夫氏の茶目っ気 (柴田 鉄治)2020年2月
2月に入って北海道に流氷がやってきたというニュースを聞くと、私は、作家の北杜夫氏(1927~2011)のことを想い出す。
あれは1963年の冬のこと、私が北海道支社報道部に勤務していたとき、南極観測船の「宗谷」が退役して古巣の北海道に巡視船として戻ってきて、オホーツク海の流氷調査に行くことになった。
南極観測に強い関心を持っていた私は、すぐ手をあげて同行取材を願い出たところ、実現して小樽港から乗船したら、『どくとるマンボウ航海記』などで名高い作家の北杜夫氏と一緒になった。
南極では氷に閉じ込められてソ連の砕氷船「オビ号」に助けられたりした「宗谷」も、オホーツク海では流氷など蹴散らすように悠々と乗り切ったし、また、同室の北杜夫氏が茶目っ気のある実に楽しい人で、ある日、小さな瓶の中に紙切れを入れて、そっと海の中に流したことがあった。その紙切れには、「海賊に襲われた、助けてくれ。これを拾った人は、ここへ電話を」と電話番号まで書かれていた。
そんな「どくとるマンボウ」の茶目っ気にも助けられ、楽しかった2週間の航海はあっという間に過ぎて札幌に戻った私は、すぐに「白いオホーツクを行く」という連載記事を北海道版に執筆した。
しばらくして、北杜夫氏から電話があり、「あの紙切れを入れた瓶を拾った人がいた」というではないか。私が「え、えー」と驚きの声をあげると、北氏は笑い出し「あなたの書いた記事を読んだ人のいたずらだったよ」というのである。
そう言えば、私の連載記事のなかに書いてしまったことを思い出してお詫びしたが、取材余話はそれだけではない。それから6年後の1969年7月のこと、私が「アポロ11号の月着陸」の取材でアメリカへ行ったら、そこでも取材に来た北杜夫氏と出会ったのだ。
どくとるマンボウ氏は、そこではアポロ11号を打ち上げるNASAのケネディ宇宙センターの玄関前にゴザを拡げ、「右や左の旦那様」と乞食の真似をやって見せてくれたのである。
(元朝日新聞社会部長 2020年2月記)