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年金改革めぐり各紙が提言合戦/担当者として大型社説執筆(梶本 章)2019年7月

 それは2008年1月7日のことだった。日経新聞の朝刊1面を見て思わずのけぞった。「基礎年金、全額消費税で」「税率5%上げ、保険料廃止」。同社の年金制度改革研究会報告と銘打った立派な提言だった。

 2面には「年金制度が崩れる前に超党派で議論を」の大型社説。6面は「世代間で公平な制度に」、7面は「真の『皆年金』実現へ道筋」との大見出しの下、税方式がいかに優れているかが詳細に説明されている。研究会には同社の編集幹部11人が名を連ね、厚労省の年金部会で04年の年金改革案をまとめた宮島洋早稲田大学教授も加わっていた。

 当時、私が属していた朝日新聞の論説委員室では07年秋から週1回「希望社会への提言」と題した大型社説を3面で連載しており、地方自治や財政、雇用など、朝日では珍しい提言を続けてきた。そして私が担当していた年金、医療など社会保障をまとめようとした矢先に日経提言が発表されたのだ。私が仰天した理由もお分かりいただけるだろう。

 

◆税か保険か―社内でも大激論

 

 特に年金をめぐっては、全国民が加入する基礎年金の給付を全額税で賄うのか、それとも現行通り保険料と税を合わせて賄うのか、政治の場を含め大きな争点となっていた。朝日でも経済部を中心に税方式論者が多かった。確かに全額税で賄えば保険料の未納や未加入といった問題もなくなり、皆、公平に老後が保障されるという主張には説得力もあった。

 しかし、1942年の創設以来、紆余曲折を経て続いてきた年金制度の根幹をそんな簡単に変更できるのかと私は考えていた。

 今後の社会保障の増大を考えれば年金だけでなく医療や介護にも税が必要となることは当然として、理由は三つある。一つ目は65歳になると「はい、ご苦労さん」と国から満額の年金がもらえるのは有り難いけれど、違和感もあった。やはり負担と給付がある程度結びついていないと、最後は国にみてもらうというモラルハザードに陥るのではないかという思いだ。

 二つ目は、新たに必要となる税を本当に調達できるのかという疑問だ。日経提言は消費税を5%前後引き上げ、保険料を充てている12兆円分と置き換えるだけという。が、今日でも安倍首相が与野党で合意した社会保障のための消費税引き上げを2度先送りしたことをみても、その困難性は明らかだ。

 三つ目は、保険から税への移行がうまく進むのかという問題だ。公的年金は約7000万人の国民が保険料を払い、保険者である国が税も投入して、約4000万人の高齢者へ総額55兆円を年金として支給する巨大な仕送りシステムだ。しかも、保険料を税に置き換えるにしても、その移行期間は40年余り続く。また受給者も保険料を納付してきた人、未納・免除期間のある人など様々だ。そんな中で皆が納得する公平な仕組みとするのは至難の業だ。

 論説は毎日「昼会」と呼ばれる会議を開き、検討が必要なテーマを担当者が説明、委員が様々な意見を出し、最終的に主幹が方向を決める。担当者の意向と逆の結論となることも珍しくない。朝日の場合、かなり愚直に論議が交わされる。

 私が提案した社会保険方式をベースとする改革案が受け入れられるのかどうか。予想していたとはいえ議論は収斂しなかった。

 日経提言から1カ月余り。私が書いた社説は「年金は税と保険料を合わせて?基礎年金をすべて税で賄うのは非現実的だ?税の投入は、年金より医療や介護を優先させる」「パートも派遣も厚生年金に?専業主婦にも保険料を払ってもらう?低年金者は生活保護を受けやすくしよう」という日経とは真逆の2本の大型社説だった。

 当初、「朝日らしい税方式を書けばいいのでは」などと激励(?)してくれた主幹を含め、どうやって委員を説得したのか。内部を固める方がはるかに大変だったが、その話はまたの機会として、とにもかくにも意に反する記事を書くことは免れた。

 

◆主要3紙で合同ディベートも

 

 重荷を下ろした私は、憲法改正試案など提言に力を入れている読売新聞が黙っているわけがないと思っていた。果たして2カ月後の4月16日朝刊1面「最低保障年金を創設」「子育て世帯の保険料無料」、2面「医療・介護新たな財源必要」、3面大型社説「医療と介護も視野に入れて」、「『税方式』難題多く」、18面「信頼取り戻す」、19面「公平・安心・持続」、20面「消費税を抜本改革」、21面「医療と介護拡充」と続いた。

 一口で要約できないが、医療や介護も視野に入れれば年金だけに税を充てられないと保険方式の継続を主張。他方で低年金者のためには税で賄う最低保障年金を創設し、5万円を保障する。日経と朝日の提言を足し合わせたような印象だ。その他、医療や介護の改革、消費税の社会保障目的税化などにも及び、まさに「提言の読売」と恐れ入った。

 印象的だったのは、親しい同社幹部から「どうせ朝日は税方式だと思っていたのに、余計なことを」と怒られたことだった。

 主要3紙が違った提言をまとめたことが話題となり、3社合同でそれぞれの執筆者を集めたディベートを企画。生まれて初めて読売、日経に小生の顔写真が載った。それだけでない。当時、福田内閣が設置した社会保障国民会議に引っ張り出され、所信を述べ偉い先生から質問を受けた。

 気の毒だったのは毎日新聞の友人だった。「上から何か書けと言われ困っている。いいところは、もう書かれているし……」。7月に朝日と同じ2本の大型社説「所得比例制度に一元化」「一元化へ政治は決断を」が掲載された。この種の年金はスウェーデン方式だと思っていたがフィンランド方式というのもあることを知り、苦労の跡がしのばれた。 

 

◆分かれるメディア提言への評価

 

 それにしてもなぜこの時期に新聞で「提言合戦」が生じたのだろうか。

 04年の年金改革で「保険料固定・年金自動調整」という踏み込んだ案がまとまり、「100年安心」などといわれた。が、その後、社会保険庁が管理する年金記録5000万件が誰のものか分からなくなる「宙に浮いた年金記録」問題が発覚。年金不安が高まった。

 加えて07年の参院選で第一次安倍政権が大敗し衆参両院で多数派が異なる「ねじれ国会」となり、政治の迷走が際立った。そんなことが新聞の提言を呼び起こすことになったのではないか。

 また各社の立ち位置が税方式、社会保険方式、最低保障年金……と分かれたのも興味深い。政党や政治家の論戦では「相手が白と言えば、こちらは黒」とよく言われる。新聞も「抜いた・抜かれた」だけでなく、政治の世界と同じような面もあるのかもしれない。

 ただ、新聞が「提言」を出すことへの識者の評価は分かれた。一つは「影響力の大きい新聞の提言は客観報道の原則に反し、民主的な世論形成に好ましくない」という評価。朝日、毎日のように社説の枠内での提言は許容範囲と私は思った。もう一つは「提言は画期的。政府のチェックができるのは新聞くらい。内容は読者が判断すればいい」という評価。読売、日経のような迫力ある大型提言をもっと目指せというのだ。

 

◇    ◇    ◇

 

 予期せぬ提言合戦に翻弄された私はその年に定年退職し、今や年金生活者である。04年改革が効いて表向き年金の財政問題は表面化していないが、年金の水準は確実に低下していく。制度の持続性を図りつつ、給付の十分性をどう確保するのか。改革議論は続く。

 それだけではない。経済低迷下での人口減少で、年金だけでなく医療や介護も含め社会保障をどう持続させるのかも早晩問題となる。そんなとき、各紙はまた提言に踏み切るのだろうか。日経は「給付を削って負担増を避けろ」と書き、朝日は「公平な負担とし、安易な給付削減を避けろ」とでも書くのだろうか……などと夢想している。

 

かじもと・あきら

1973年 朝日新聞社入社 仙台支局 北海道報道部を経て政治部 「週刊朝日」副編集長 政治部政治面編集長などを経て 2003年に論説委員(担当は社会保障と政治) 08年より早稲田大学大学院公共経営研究科客員教授 朝日新聞シニアスタッフ 12年より医療介護福祉政策研究フォーラム理事 明治大学専門職大学院ガバナンス研究科兼任講師

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