ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。


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「いつの日か」まで(原田 真衣)2017年2月

「でかい」。1号機から4号機までを見渡せる高台に降り立った時、思わずつぶやいた。

 

イチエフに向かうバスからは、あの日からそのままのような街が見え、切ない思いに駆られた。構内では重厚なマスクを付けるのではと思っていたが、装備は簡単なもの。時間の経過を感じた。1号機から4号機までを目の前にして感じたのは、想像以上の大きさ。威圧感。東京から持ってきた線量計が「ビビビッ」と甲高い音をたてて鳴り響いた時、(100マイクロシーベルトという低い値に設定していたためだったが)緊張が走った。

 

震災時、私は高校生で地元の宮城県・石巻にいた。記者になってからも震災の取材では地元のことを中心に考えてしまう部分があった。しかし今回、取材という形では初めて福島を訪れ、放射能との闘いの重みを強く感じた。川内村の遠藤村長の「自分のふるさとに戻るのがなぜこんなにも難しいのか」という言葉が忘れられない。

 

「いつの日か戻りたい、戻るんだ」と福島で奮闘する人々の思いを感じ、その「いつの日か」まで私たちも取材を続けるのだと強く思った。

 

(TBSテレビ社会部)

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