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アポロの月着陸 意外にも環境問題に火をつけた!(柴田 鉄治)2016年8月

日本の科学報道は「産みの親が原子力、育ての親が宇宙開発だ」といわれている。確かに1957年のソ連の人工衛星、スプートニク1号の打ち上げから始まった米ソの華麗な宇宙開発競争は、科学技術の発展を人々に強く印象づけると同時に、メディアにおける科学報道の重要性を確固不動のものとした。

 

その宇宙開発の頂点ともいうべきニュースが69年のアポロの月着陸である。今から振り返ってみても、20世紀最大の科学ニュースだったといっても過言ではない。

 

朝日新聞社では、「他の天体にまで人間を送り込むような技術を米国はどうやって達成したのか。その秘密を探れ」という社命の下、疋田桂一郎記者をキャップとする記者4人とカメラマン1人の取材班を4カ月前から米国に送り込んだ。

 

私はその取材班の1人として、全米各地を3カ月にわたって走り回った。なにしろNASAの施設だけでもワシントンの本部、ロケットを統括するハンツビルのマーシャル宇宙センター、打ち上げ場のあるフロリダのケネディ宇宙飛行センター、宇宙飛行を管制するヒューストンの有人宇宙飛行センターと各地に散らばっている。

 

宇宙船やロケットの製造企業は約2万社、関係する大学や研究所は約200、総経費8兆円というビッグプロジェクトである。私は、主としてロケットや宇宙船の下請け・孫請け工場などを担当したが、取材を終えて集まった取材班の結論は、「これだ!といった『技術突破』は何もない。強いて挙げれば、不良品は通さない品質管理の技術を徹底したことだろう」となった。

 

どんな小さな下請け・孫請け工場へ行っても、こんなポスターが貼ってあった。「月ロケットは560万個の部品からできている。もし信頼性が99・9%なら、なお5600個の不良品が残る」と。人間を月に送り込むには信頼性が99・999999%くらいでないとダメだというのである。

 

そのため、どこの企業へ行っても品質管理の部門が大きな比重を占めていて、チェック、チェック、またチェックである。

 

宇宙に消えたアポロ6号の事故原因を、地上に残された製造工程の詳細なデータから突き止めていくストーリーを軸に、そんな品質管理の話を「NASA――米航空宇宙局」という17回の連載記事にまとめたが、その取材を通じて私はふと、米国社会の特徴を見たように思った。

 

アポロのような国家威信をかけたプロジェクトの場合、日本ならさしずめ製造工程の末端にまで名人芸の持ち主をえりすぐって、万全を期すに違いない。ところが、米国では誰にでもやらせる代わりに、厳しいチェック体制を敷いて、不良品をはじき出す。その底に流れている思想は、人間は誰でも間違いを犯すものだ、だから、間違わないようにするより、間違いを見つけ出すシステムを確立するほうが大事だ、という考え方である。

 

◆「小さな青い地球像」の衝撃

 

7月20日、世界中から約3000人の記者団が詰めかけたヒューストンの有人宇宙飛行センターの記者室の大きなスクリーンに、月からの映像が映し出された。アームストロング船長の第一歩は「左足から」と決まっており、その第一歩とともに何かしゃべったが、その内容は米国人の助手たちにも分からず、あとで東京本社から聞いて記事にしたことを覚えている。

 

「この一歩は小さいが、人類にとっては偉大な前進だ」という月からの第一声は、事前に用意していたもののようで、妙に理屈っぽく、初めて月を踏んだ驚きや感動といった、胸にずしんとくるものがなかった。

 

私はその前年の68年、南極点に立って昭和基地からの極点旅行隊を取材した。アムンゼンとスコットの南極点一番乗り競争から57年、アムンゼンに敗れたスコット隊が帰途に全滅した悲劇は、どこで遭難したのかも翌年まで分からなかったのだ。それからわずか半世紀余りしかたっていないのに、「月への一番乗り」は現場からテレビで生中継される世の中なのである。

 

未知の土地に一番乗りをするという同じ探検でもこんなにも違うものかと、そんな感慨を秘かに胸に抱きながら、興奮のるつぼと化した記者室の様子を、本社とつなぎっぱなしの電話で「勧進帳」で送り込んだことを思い出す。

 

人類が地球以外の天体に一歩をしるしたことは、まさに文明史上の一大壮挙であり、このニュースが新たな地平を開くに違いない、と取材班は終わった後、そう総括した。

 

その新たな地平は、意外や意外、全てが終わってしばらくたってから静かに現れた。

 

環境問題に火がつき、あっという間に世界中に燃え広がったことである。

 

環境問題はアポロの前からあった。日本でも水俣病や四日市ぜんそくなど、ひどい公害が各地で起こっている。「環境問題はアポロとは関係ない。公害がひどくなって限界を超えただけだ」と言う人もいるが、それでは、世界中で一斉に燃え広がったことや、一気に地球環境の危機にまで関心が広がった説明がつかないだろう。

 

やはり、宇宙飛行士が月から見た「宇宙に浮かぶ、あの小さな、青い地球像」が、科学技術の発展を放置したらこの地球環境がもたない、と気づかせてくれたとみるべきではないか。

 

とにかく、日本でも70年という年は、政治から経済、学生運動に至るまで環境問題が〝主役〟に躍り出て、メディアの報道も公害や環境問題一色だったといっても過言ではなく、政府が環境庁(現・環境省)の設置を決めたのもこの年だ。

 

科学技術は、経済発展の源泉だといわれていたのが、一転、地球環境を破壊する元凶だ、となったのだ。つまり、「科学技術の進歩は人間を幸せにするとは限らない」という当然のことに、人類は皮肉にも、科学技術の頂点とも言うべきアポロの月着陸によって気づかされたのである。

 

◆アポロの余話、2題

 

アポロとは関係ないが、その後の余話を2つ、紹介しよう。

 

1つは、アポロの月着陸から30余年が過ぎ、私が新聞社を退社して大学で「科学技術と社会」という講義を持っていたときのことである。アポロの月着陸とそれがもたらした地球環境問題について、前記のような体験談を話していたところ、学生の手があがり「先生! アポロは本当に月へ行ったのですか?」と質問されて、私は仰天した。

 

「だって、月から生中継された映像があったでしょう」と言うと、学生は「映像なんて簡単に捏造できますから」と言うのである。

 

あとで調べてみたら2001年に米国のFOXテレビが制作した「陰謀説、本当に人類は月面に降り立ったのか?」という番組を、日本でもテレビ朝日が放映し、学生はそれを見て疑問を抱いたことが分かった。内容は、月面での宇宙飛行士の映像を示して、空気のない月面で旗が風になびいているように見えることや、影のでき方が不自然なことを指摘して、月ではなく地上の砂漠でロケをしたうえ、スローモーションで放映したものだというのである。

 

米国では、この番組で国民の20%が月着陸を信じていないと報じられ、NASAがあわてて「行ったことは間違いない」と言明したという話まであったそうである。

 

もう1つの余話は、本当の話である。私がアポロ取材から日本に帰国したとき、日本は欠陥車騒動の真っ最中だった。トヨタのコロナ、日産のブルーバードに米国で欠陥が見つかり、こっそり修理しているのはずるいという米紙の報道をきっかけに、「欠陥なぜ隠す」と朝日新聞が報じたことが、その騒ぎの発端だった。

 

折から日本でも庶民が車を持てるマイカー時代のはしりで、車への関心が極めて高く、トヨタ、日産だけでなく、ホンダもスバルも三菱もと、欠陥を訴える情報が各新聞社に殺到し、来る日も来る日も欠陥車の記事が載らない日はないような状況が続いた。

 

自動車メーカーは、新聞の大スポンサーである。「日本の新聞は日本の自動車産業をつぶす気か」とねじ込んできたが、新聞社のほうも「車に欠陥があれば、走る凶器だ」と一歩も引かず、欠陥車キャンペーンを続けた。

 

自動車メーカーの技術者たちは、どうしたら欠陥車をなくせるか、と必死に研究した結果、私たちアポロ取材班が連載「NASA」で指摘した宇宙・航空産業の品質管理の技術を、米国の自動車業界より一歩早く導入することによって、一気に品質を高めることに成功したのである。

 

日本の新聞が日本の車を世界のトップクラスに押し上げたと言ったら傲慢に過ぎようが、メディアのチェック機能が有効に働いた1つの実証例だとはいえよう。

 

しばた・てつじ

1935年生まれ 59年朝日新聞社入社 科学部長 社会部長 出版局長 論説主幹代理などを経て 朝日カルチャーセンター社長 国際基督教大学客員教授などを歴任
著書に『科学事件』『新聞記者という仕事』『国境なき大陸、南極』『原子力報道』など多数

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