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相撲取材今昔の感(山崎 正)2007年11月

協会も部屋も記者も改革が必要
近頃相撲界がにぎやかだ。

連日テレビ、新聞で取り上げられない日はないくらい、次から次へと話題に事欠かない。これが土俵の外のことばかりなのが非常に残念だ。

ことの発端は、2007年8月1日、日本相撲協会はこれまでにないほどの厳しい処分を横綱朝青龍に下したことから始まった。

名古屋場所後、肘・腰椎の疲労骨折で治療を要する、という診断書のもとに夏巡業の休場届けを出しながら、親方に無断で帰国し、そこでサッカーをしていたことによる処分だ。

処分内容は、2場所出場停止、11月場所千秋楽までの謹慎、帰国はもちろん、部屋と病院、自宅以外への往来を原則禁止、4カ月の減棒30%というものだった。この処分にだれよりも驚いていたのは朝青龍本人だった。一人横綱26場所、通算で21回の優勝、伝統ある国技の相撲を精一杯盛り上げ、責任を果たしてきたのになぜ自分が処分を……。これまでは何の処分もなかったのに……。

これまでとは、2003年名古屋場所で、同じモンゴル出身の旭鷲山戦で髷をつかみ、引き落とし、横綱としては史上初の反則負けとなった。その後も旭鷲山の車のサイドミラーを壊したり、仕度部屋の風呂場で激しく言い争いをしたり、許可なくモンゴルへ帰国したため、先代高砂親方の葬儀に無断欠席、今年3月稀勢の里戦では、倒れた背中を膝で蹴り駄目を押した。また4月には、時津風部屋に出稽古の際、豊ノ島に大技をかけ大怪我を誘い非難を浴びた。

こうしたことを横綱審議委員からは「横綱としてあるまじき行為」と忠告を受けていた。にもかかわらず協会は師匠高砂親方に本人への指導強化をより一層厳しくと促す程度にすませていた。今回はサッカーをしている様子が報道され国民の非難を浴び、協会としても早急の処分を出さざるをえなかったのだと思う。

■外国人力士は61人

今回の件では「外国人力士」がクローズアップされた。外国人力士が日本の相撲で脚光を浴びたのは、1972年7月優勝の高見山(現東関親方)だ。もちろんそれまでも中国、韓国出身力士も多数いたが、ハワイから一人で来日した高見山が一躍日本の相撲界で人気を呼んだのは本人が当時日本人より礼節をわきまえ、礼に始まり礼に終わる日本の国技である相撲に全身全霊注ぎ込んだ情熱があったからだと思う。初めて外国人が部屋を起こし横綱曙を誕生させた。

その後一時トンガの力士が角界に旋風を巻き起こしたことがあるが、その時期は短かった。そして曙、武蔵丸、小錦のハワイ勢が土俵を席巻。日本の相撲は大きな変化を遂げまさに『黒船到来』の感があった。それから1992年、旭鷲山、旭天鵬が入門してから次々とモンゴル勢が来日し、今や東西の横綱としてトップの座についた。

現在力士数は723人、そのうち外国人力士が61人、さらにそのうちの半数34人がモンゴル人だ。次いで中国、ロシア、ブラジル、グルジア……あまり知られていないところでハンガリーの力士もいる。年々増える外国人力士に、協会は1部屋1人制度を設けた。実に全力士の10分1近くが外国人力士とは驚きだ。

ここまで国際的になってしまったのに、受け入れ体制、教育指導が変わっていないのがいろいろな面で誤解を招いているのではないか。外国人の悩みを聞いたり、わかりやすく教育指導することが必要とされているのではないだろうか。同様に若い日本人力士の教育や育て方も変えてゆかなければならない時期に来ていると思う。良い意味で改革の時を迎えている。協会も部屋もそして私たち記者たちも……。

■裏ネタ主義の取材へ

今、スポーツ新聞の読者のニーズが変わって来た。より人間的な部分の話題を要求して、より興味あることに記事の内容も変わりつつある。かつては、スポーツとしての相撲故に、力士への相撲記者の質問、取材も技術、精神面の質問に終始した。その内容もかなり鋭く、つっこみ、記事の内容も深みがあった。しかし現在はそこまで追及するより、力士の裏の部分で紙上をにぎわせた方が読者の興味がわく。またテレビも視聴者がとびつきそうな裏ネタを引き出そうとしている。相撲を取り終え仕度部屋に戻り風呂に入り髷を結い直す時、記者が質問する。

かつては厳しく今日の取り口や心境を記者がうまく聞き出していた。ところが、最近では質問の仕方のつっこみも甘く、単的な質問が目立つ。特に横綱には失礼な、とんちんかんな質問で相手が答えに窮することもある。記者が質問せずに逆に横綱から「何か面白いことない?」と質問されたりする。かつてはありえなかったことだ。最近のスポーツ取材をする若い記者やアナウンサーは幅広い分野を担当するため、相撲に対する知識が薄れているように感じる。 それはしかたないことかもしれないが……。「関取はどれくらい練習をするのですか?」「明日の試合はどのように戦いますか?」との質問に力士たちは苦笑いをしていた。

相撲では練習は稽古、試合は取り組みと独特の用語があり、とても奥深いものだ。相撲の起源をさかのぼると、のみのすくねとたいまのけはやの日本書記に辿りつく。常にそこには神がいて、神に祈る神事がとり行われていた。今でも本場所前日土俵祭りで神を呼び、千秋楽に神を送る行事で幕を閉じる。

世界中には数々の格闘技がある。韓国相撲(シムル)、ロシアのサンボ、そしてモンゴル相撲等……。しかし日本の相撲ほど歴史と伝統の上に格式や礼を重んじていて今日まで盛んなスポーツは世界でもめずらしいのではないだろうか。取り組みだけではなく、東西の力士で独特の節まわしで呼び上げる「呼び出し」、勝敗の軍配をあげる「行司」、そしてあの髷を結う「床山」とひとつの取り組みにもいろんな人が関わり、ドラマを作る。

これからの相撲に携わる若い人たちには、よく学んでいただき、好きになってほしい。厳しい質問に力士たちは「よく調べているなぁ~」と逆に心許し、良い取材ができるであろう。

■マスコミに口閉ざす横綱

今から4年前、朝青龍が横綱に推挙される前日、私はニュースの番組で部屋近くの彼がよく行く焼き肉屋から中継でインタビューをした。

忙しいなか駆けつけて彼は開口一番「こんな事なら横綱になんかならなければよかった」と冗談まじりに話した。しかし無事インタビューも終わり、次に綱打ちをした時、取材に行くと「この間はありがとうございました」と礼儀正しかった。

今回の件では、マスコミにも口も閉ざし、いったい何がそうさせたのかは、誰もわからない。横綱といってもまだ27歳の青年、人生の道に迷っているのではないだろうか。ここは協会側が正面向いて話し、わかち合い、彼が初心に戻る気持ちで謙虚な姿勢で取り組んで、再び土俵で活躍し、新聞の一面を見事な相撲っぷりで飾ってもらいたい。

歴史と伝統を重んじながらも時代の流れにより変わってゆくであろう。この業界の行く末を後輩記者らと伝えてゆきたい。



やまざき・ただし会員 1944年生まれ 73年テレビ朝日(当時日本教育テレビ)入社 アナウンサーとしてニュース スポーツ担当 73年から2003年まで「大相撲ダイジェスト」を30年間担当 アナウンス部長 専任局次長 2004年退社

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