会見リポート
2025年02月26日
14:30 〜 16:00
10階ホール
「戦後80年を問う」(2) 行天豊雄・三菱UFJ銀行名誉顧問、元大蔵省(現財務省)財務官
会見メモ
40年前のプラザ合意など重要な局面に立ち会い、「通貨マフィア」として知られる行天豊雄さんが「私が生きた94年」と題し登壇。自身の戦争体験や戦後復興の中で感じてきたこと、国際金融や日本経済の歩み、今の日本に求めることなどについて話した。
行天さんは1931年生まれ。1955年4月に大蔵省(現財務省)に入省。国際金融局長や財務官を歴任し、1989年に退官した。
司会 菅野幹雄 日本記者クラブ企画委員(日本経済新聞社)
会見リポート
マーケット「もっと大事に」
播摩 卓士 (企画委員 TBSテレビ報道局上席解説委員)
肉が焼ける臭いは、牛肉も人間も同じだった。『通貨マフィア』の顔とは全く異なる、衝撃的な発言から会見は始まった。1945年の横浜大空襲の記憶だそうだ。「今でもバーベキューをすると、あの時を思い出す」と言う。
行天氏は、戦後日本の奇跡的な成長は、1㌦=360円の固定相場や、市場開放におおらかなアメリカ、安い原油などの特殊な条件によって可能になったとした上で、その中で、日本独自の特殊な資本主義が作られたと規定する。
ニクソンショックや石油ショックを経て、その前提条件が変わったのに、「世界の空気」の変化を読み取れていなかったと、70~80年代の対日圧力の高まりを分析した。
国際金融局長として、取りまとめに尽力した85年のプラザ合意。「放っておくと大変なことになる」と思い、アメリカからの協調要求を「前向きにとらえた」とのこと。もっとも、その後の為替相場の大変動については、「G5では10%位ドル安になればいいかという程度の感じで、あまり詰めた議論はなかった」と明かした。
その円高恐怖症と内需拡大要求に押され、主に金融緩和で対処し、「バブル」に突き進んで行くのだが、行天氏は「今から思えば、もう少し財政が出る道もあった」と振り返った。
そして「バブル崩壊」、「失われた30年」の時代、この間の対応を行天氏は、「戦後発展の特別なモデルから、構造そのものを変えるという意識が欠けていた」、「目先の話、いじり具合でコトを収めようとした」と指摘する。その間にも世界は大きく変わっていたのに、である。今の日本は「芳しくない」「緊張感、危機感」がなく「内向き、自己満足」と手厳しい。
日本が生き延びるためには、何か一目置かれるものを持つこと、そして、マーケットをもっと大事にすること、と説く。「日本が問題の所在を理解し、それに取り組む意志と努力があるのか」をマーケットは見ているのだと。世界を股にかけ、市場と向き合った『通貨マフィア』の、今の世代への直球のメッセージだった。
ゲスト / Guest
-
行天豊雄 / Toyoo GYOHTEN
三菱UFJ銀行名誉顧問、元大蔵省(現財務省)財務官
研究テーマ:戦後80年を問う
研究会回数:2