福島第一原子力発電所、第二原子力発電所取材団(2019/2/5~8)

会見メモ

参加=30社42人

 

2月5日(火)A班が東京電力福島第一原子力発電所構内取材、昼食▼いわき泊

  6日(水)いわき駅でB班と合流▼福島第二原子力発電所取材▼復興庁「平成30年度放射線等に関する情報発信事業」 増田圭 復興庁参事官、開沼博 立命館大学准教授、義澤宣明 三菱総合研究所主席研究院の話と質疑応答▼いわき泊

  7日(木)中間貯蔵施設視察・質疑応答▼大熊食堂で昼食▼志賀秀陽 大熊町復興事業課長ほかの会見、大熊町役場新庁舎建設現場など見学▼東京電力廃炉資料館見学▼いわき駅でA班解散▼B班いわき泊

  8日(金)B班が第一原発構内取材、昼食▼東京駅で解散


会見リポート

 東京電力福島第一原発の事故から8年。日本記者クラブの福島第一原発取材団は5回目の今回、原発構内のほか、除染廃棄物の「中間貯蔵施設」、地元・大熊町で建設が進む「復興拠点」などを訪れた。42人が参加した。

原発構内は地表が一面、モルタルなどで覆われ、一般服で作業できるエリアは敷地の96%にまで広がっていた。昨年はバスで通り抜けた2号機と3号機の間の「通り」にも今回、初めて降りて取材した。

この「通り」は事故直後から放射線レベルが極めて高かった場所だ、私が取材で初めて近づいたのは、2013年1月28日。バスに乗り、「通り」の端をのぞき見ただけで、車内の放射線レベルは毎時1600マイクロシーベルトを超えた。

今回、「通り」に降りていたのは10分ほど。計1時間余り構内取材で、私の被曝線量は20マイクロシーベルト。隔世の感があった。

東電によると、1~3号機の建屋内のプールに残る使用済み燃料の取り出しも、3月末には3号機でまず始まる。本格的な廃炉作業開始に向けて、わずかに光が差し始めていた。

 しかし、建屋への地下水流入は依然止まらず、1~3号機内に溶け落ちた燃料デブリの取り出し方法も決まっていない。廃炉は遠い先だ。

大熊町の「復興拠点」では町役場新庁舎や復興公営住宅の建設が、急ピッチで進んでいた。新庁舎は5月の連休明けの業務開始、復興公営住宅は6月入居を目指す。志賀秀陽・復興事業課長は「困難な状況から少しずつ抜け出しつつある」と言った。

しかし、今春拠点に戻るのは、1万職員らを含めても、1千人に満たない。5年後には約2600人が暮らす構想だが、その先は――。志賀さんに「青写真」を尋ねると、沈黙した。復興はまだ遠い将来にかすんでいた。

団長・(企画委員)朝日新聞社編集委員 上田 俊英

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●作業進むも見えぬ将来像

 色がない―。初めて福島第一原発構内に入ったとき、そう思った。

 各所に作業員がいて、重機があって、廃炉に向けた動きは確かに進んでいるが、活気はなく、淡々と時間が過ぎているように感じた。

 原発事故から8年、報道でさまざまな場面を目にしてきたが、やはり、現場に立つ意義は深い。

 構内や廃炉資料館の視察、東京電力担当者との質疑応答などを通して、事故の原因、経過、今後の計画や抱える課題をあらためて確認することができたが、将来の姿は見えなかった。

 大熊町を訪れ、復興事業課長をはじめ地元住民の思いを聞いたことで、もっと多くの地元の声に耳を傾け、さまざまな思いに触れたいと強く思った。報道の役割として、事故の経過をたどることはもちろん大きいが、自身の力だけでは広く発信することに限りがある人々の声を拾い、表に出していくことも重要だと考える。今回の視察は、現場に立ち、その土地の人と接することこそ、報道の原点だと実感した3日間だった。

東奥日報社政経部 山内 はるみ

 

●デブリ調査、難しさ痛感

「あれ? いつなくなったんだろう」。東電職員は首をかしげた。私が質問したのは「ポケモンGO禁止」の貼り紙がなくなったこと。トイレにあった「タバコやガム禁止」も消えた。私にとって3回目の原発取材団。私服で入れるエリアは拡大し、これまではバスで通過するだけだった2号機と3号機の間にも自分の足で降りて取材できるようになった。

凍土遮水壁が完成したためか、作業員の数が減ったように感じられた。実際、ピーク時の1日7000人超から今は4000人ほどになっているという。

今回は福島第二原発にも入った。炉心直下のペデスタルは想像より狭く、鉄格子の足元から見える暗闇は「燃料棒が溶け落ちる」という意味とデブリ調査の難しさを実感させた。

取材から戻ってラジオ出演した際、こんなコメントが私に届いた。

「今後も伝えていただけたらうれしいです。定期的な進行情報をアナウンスしてほしい。知りたいのはロードマップじゃないんですよね」。小さな変化や違いを感じ取れる取材団。これからもぜひ参加したい。

フジテレビ総合事業局コンテンツ事業センター    清水 俊宏

 

●諦めない姿 人の強さ実感

福島第一原発を囲む中間貯蔵施設に、福島県内の各地から汚染土が集められていた。対象は大型土のう袋で1400万袋にもなる。1日約5000人がこの事業のために働く。運び込んだ土は30年以内に県外で最終処分する約束があり、再び外へ出さなければならない。「作業員はむなしくならないだろうか」。隣の記者が思わずつぶやいた。原子炉のデブリに触れるだけで8年もかかった廃炉の道のりと合わせ、事故が強いる途方もない後片付けを実感した。

一方、原発立地自治体の大熊町では職員たちの諦めない姿勢を間近に見た。町役場を新設して8年ぶりに帰還する。全町避難の町で家々を見回り、草を刈ってきた「じじい部隊」にも会えた。メンバーの一人で元町職員の鈴木久友さんの言葉が印象に残る。避難者に何度も胸ぐらをつかまれた事故直後の過酷さに触れ、「あの苦境を思えば何でもできる」とほほ笑んだ。人は強いと思った。中国地方では島根原発1~3号機で廃炉、再稼働、新規稼働の動きが進む。今後の取材に向けて貴重な経験を得た。

中国新聞社経済部 新山 創


ゲスト / Guest

  • 福島第一原子力発電所、第二原子力発電所取材団

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