会見リポート
2018年09月10日
13:30 〜 15:00
10階ホール
「平成とは何だったのか」(10) 平成の災害史 室﨑益輝・神戸大学名誉教授
会見メモ
1968年から防災、減災、復興の研究・教育に携わり、神戸大学在籍時の95年、阪神・淡路大震災で自らも被災者となった。
防災・減災対策や復興政策の変化とあわせ、災害史を振り返った。
司会 上田俊英 日本記者クラブ企画委員(朝日新聞)
会見リポート
今後30年続く地震活動期 経済疲弊で防災力低下も
鎭目 宰司 (共同通信社科学部)
地震、豪雨、また地震。2018年、ことしは何だかざわざわしている。科学部の防災担当デスクとしては早く収まってほしいと強く願う。
だが、防災が専門の神戸大名誉教授の室﨑益輝さんの見方は違う。1995年の阪神大震災をきっかけに日本は地震活動の静穏期から活動期に入ったと考える。活動期を50年と考えるとまだ30年近く続く計算だ。関東大震災や昭和の東南海、南海地震があった前回の活動期と比べれば、まだ今は序の口だ。「もう一つ、二つ直下型地震が起きて南海トラフ巨大地震、首都直下地震が来る。これは避けられない」
室﨑さんによれば、敗戦を経て高度経済成長を迎えた日本は「防災にお金を掛けられるようになった」。住宅事情の改善や砂防ダム、防潮堤、大規模道路の設備などハード面への投資が行われ、迎えた地震静穏期と相まって地震、大火や台風、水害の犠牲者は抑えられていった。「阪神」までは。
90年代以降、経済停滞に入った日本は次第に防災面への投資を減らしていく。投資を減らした企業の防災力は低下した。東京電力福島第一原発事故の遠因もそうだった。「経済が停滞すると災害が増える時期になった。経済優先で開発してきた高度成長が終わり、20~30年でしわ寄せが来た」
阪神大震災で注目された災害ボランティアも限界を迎えつつある。「社会の弱さをボランティアの美化でごまかして、行政がしないといけないことまでさせてきた。西日本豪雨ではボランティアは限界だった」。被災地の中にはまだ泥が8割も残っているところがあるということだ。
北海道や大阪の地震で浮き彫りになったライフラインのもろさ、公助の乏しさの裏返しで「自己責任」を強調して動かない行政。避難所の環境の劣悪さは相変わらずだ。文化としての被災経験が継承され、社会の仕組みが柔軟に変わるようにしないと、数十年残った活動期を生き残っていけない。室﨑さんは話す。まさに国難の時代だ。
ゲスト / Guest
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室﨑益輝 / Yoshiteru Murosaki
神戸大学名誉教授 / professor emeritus of Kobe University
研究テーマ:平成とは何だったのか
研究会回数:10