2018年06月05日 15:00 〜 16:30 9階会見場
「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授

会見メモ

古文書の世界から見た公文書管理問題について語った。公文書をザイルに例えると分かりやすという。「1本のザイルが切れても、他のザイルが残っていれば頂上にたどり着くことができる。同じように公文書が沢山残されていれば、不備が出た場合も真相を明らかにすることができる」。日本のような国が欧米並みの制度を持てないわけがないとした。

 

司会 橋本五郎 日本記者クラブ企画委員(読売新聞)


会見リポート

「政治は暴れ馬、公文書は手綱」 

鵜飼 哲夫 ( 読売新聞社編集委員)

 カルテは誰のものか。それは患者がそのコピーを持って、別の病院でセカンドオピニオンを聞くためのもので、患者の命を守るためのものだ。同じように、国民の生命・財産を扱う公文書はまさに国民の財産です。それを公務員が書き換えたり、破棄したりしてはならない――。

 極めて今日的な題材で、公文書管理について語るかと思えば、農民出身でありながら、備中松山藩五万石の藩政改革を奇跡的に成し遂げた幕末明治の儒者、山田方谷が、信用を失った藩札を、見学者の見守る中、河原で焼却したエピソードを通して、公にとって都合の悪い情報も公開して、国民の信頼を得ることの大切さを説いた。

 茨城大学准教授だった時代、東日本大震災に遭遇し、防災史を研究しようと、過去600年に3度の大津波に襲われた浜松市に移り住み、静岡文化芸術大学に。そして、2年前からは歴史の宝庫である京都にある国際日本文化研究センターに移った。古文書を求めて東へ西へ。当代を代表する人気歴史学者の話は、古今東西の事象を具体的に語り、記者たちをぐっと引きつけた。

 ただし、公文書絶対主義ではない。大切なのは史料批判、権力を持つ者が時に都合よく書き換えてしまう史料を読み解く眼であることも強調した。家康が、武田信玄に大敗した三方ヶ原の戦い(1572年)の史料は、後世になるにつれて信玄軍の数が多くなり、江戸初期の史料では2万人だったのが、江戸後期には4万人を超えたという。そこには家康の敗戦を小さく見せるために史料を書き換えた可能性を指摘、史料の嘘を見抜くことも重要と語った。

 ただ、その嘘が分かるのは、昔の文書がいくつも残っており、史料間の矛盾があるためである。

 「政治は暴れ馬です。乗る国民がそれを操縦する手綱が公文書です」

 『日本史の内幕』(中公新書)も評判の学者は、形容も卓抜だ。


ゲスト / Guest

  • 磯田道史 / Michifumi Isoda

    日本 / Japan

    国際日本文化研究センター准教授 / Associate Professor, International Research Center for Japanese Studies

研究テーマ:公文書管理を考える

研究会回数:4

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