2018年05月31日 15:00 〜 16:30 9階会見場
「平成とは何だったのか」(3) 吉川洋・立正大学教授

会見メモ

バブル崩壊からアベノミクスまでに平成の経済を幅広く論じた。

小泉内閣時代に経済財政諮問会議の民間議員として不良債権処理問題に関わった経験も詳しく述べた。

 

司会 播摩卓士 日本記者クラブ企画委員(TBS)


会見リポート

平成経済「閉塞感拭えず」

播摩 卓士 (TBSテレビ報道局編集主幹)

 「平成の30年は、全体として閉塞感の拭えない時代であった」

 吉川教授は、30年の間にはアップダウンもあり、経済低迷の原因はその時々に異なると、慎重に言葉を選びつつも、「閉塞感」という言葉で時代を表現した。同時代を生きてきた者として、その実感に異論はあるまい。

 1989年に始まった平成。この年の暮れに日経平均株価は史上最高値をつけたものの、翌年から急落、地価も1年遅れで下げに転じた。平成時代は、まさにバブル崩壊の過程と重なる。吉川教授は、2003年のりそな銀行への公的資金注入までを、バブル崩壊に伴う不良債権問題がのしかかった一つの時代と括り、バブル崩壊は「隕石で恐竜が滅びたほどのインパクト」と表現した。もちろん「バブルのかなりの部分は人災だ」が。

 その後、2008年のリーマンショックまでは「まずまず好調」と評価したが、「構造改革の結果というより、中国ブームに伴う輸出主導が実態だった」と手厳しい。現在のアベノミクスについては、景気循環の視点から「まことに運が良かった」とクールに評した。

 昨今、経済低迷を「人口減少だから仕方ない」とする風潮に、「人口減少は随分前から分かっていたこと。かつてそんな議論をした人はいなかった」と疑問を投げかけた。

 ならば、閉塞感から抜け出せない最大の理由は? 「日本企業のイノベーションの力の後退が一番の問題」と明言。確かに「最大の貯蓄超過部門が法人部門」というのは、その証拠か。でも、「イノベーション力の後退」と言われると、いよいよ根が深い。

 「閉塞感」の犯人捜しをずっと続けた平成の30年、次の時代の展望どころか、いまだ、その決着もつけられていないように思う。


ゲスト / Guest

  • 吉川洋 / Hiroshi Yoshikawa

    日本 / Japan

    立正大学教授 / professor, Rissho University

研究テーマ:平成とは何だったのか

研究会回数:3

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