2011年04月07日 17:00 〜 18:00 10階ホール
被災地議員 記者会見 小野寺五典 衆議院議員(自民、宮城)

会見メモ

宮城県気仙沼市出身で実家も津波被害にあった小野寺五典・衆議院議員が「被災地議員」で、自分の被災者経験を話し、被災者への対応を急ぐよう求めた。


≪「被災地には与党も野党もない。どの党でもいい。何党でもいい」(与野党の連立交渉について聞かれ)≫

小野寺議員は地震の翌日、気仙沼に入り、連絡のとれなかった母と弟を探し回った。夜通し、歩きまわって、避難所で母と弟をみつけ、おにぎり1個を3人で分けた。翌日、南三陸町に入り、電柱にぶらさがった遺体など惨状を目の当たりにした。いまも気仙沼と国会を往復し、気仙沼では壊れた実家で母・弟と暮らす。水道、電気、ガスはいまだになく、避難所の被災者もテレビの津波の映像を見ることもできず、ラジオだけで情報を得ている、という。

被災者が抱える問題を国会でとりあげ、官邸に申し入れると、何日かたって対応策がとられる状態が続いている。「遅い。官邸の頭は原発にいっていて被災者のことを知らない。きょうも、仮設住宅の見通しについて聞くと内閣府の担当官は『知らない。担当ではない』と答え、代わって出てきた国土交通省が説明した。仮設住宅に入る人の生活支援策を聞くと『それは厚労省の担当なので、わからない』という。制度があるのに動いていない」と批判した。

震災後、被災地ではガソリンや物資不足が深刻になったが、タンクローリーや支援物資のトラックが高速道路を走るのを禁止していたためで、小野寺議員がとりあげて数日後、やっと高速道路を通れるようになった。津波で車を流された被災者が、新しく車を買おうとすると車庫証明や印鑑証明がないから売れないと業者に拒否された実例を国会で質問し、ようやく免許証だけで買えるという通達が出た。こうした例をあげ、「海には資源がある。船さえあれば生産者となれる」と水産業の復活支援を訴えた。

連立や入閣をめぐる民主党と自民党のやりとりについて「空虚な議論というか・・・。被災者には遠い世界の話だ。被災地には与党も野党もない。どの党でもいい。避難民のほしいものを感じる人に現地司令官になってもらいたい」と話した。

司会 日本記者クラブ企画委員 泉 宏


小野寺議員のホームページ

http://www.itsunori.com/


会見リポート

「被災地には与党も野党もない」

中井 良則 (日本記者クラブ事務局長)


現場の状況を体験し、復興に向けたアイデアをたくさん持っているはずなのに、あまりメディアに登場していない政治家がいる。大震災の被災地を選挙区とする国会議員だ。経験と提言を聞こうと「被災地議員」シリーズを企画した。


まず、原発事故で苦しむ福島県から増子輝彦参議院議員。昨年9月まで経産副大臣だった。「私も原発行政の責任者の一人だった。批判は甘んじて受ける。全国の原発の安全点検を急がなければならない」と苦しそうに語った。「菅総理は胆力を示し、トップの決断を」と繰り返し求め、与党議員なのに菅政権への歯がゆい思いを隠さなかった。


やはり福島県選出の吉野正芳衆議院議員も原発推進派だった。「最悪の場合、町が地球からなくなってしまう。体は、もう原子力なんていらないといっているのだが」。立地交付金で地元はうるおい、原発と共存する。そういうバラ色の構想が取り返しのつかない結果を生んだ無念さを感じさせた。


宮城県気仙沼で生まれ育った小野寺五典衆議院議員は本人が被災者となった。安否不明の母と弟を探しまわり、ようやく避難所でみつけた。海に出ていた弟は壁のような津波を船で突っ切って生き残った。海上に流された家の屋根につかまった人を助け上げた。それなのに、今度は海面の重油に火がついた。壮絶な実体験を聞いていると、涙が出てくる。連立や入閣をめぐる与野党のかけひきを聞かれ「被災地には与党も野党もない。遠い話です」。


3・11後、政治への信頼は損なわれた。被災者の悩みと怒りを直接知る議員が新しい政治を作りだすしかない。会見の動画はクラブのホームページから見ることができる。アクセスする価値はある。


ゲスト / Guest

  • 小野寺五典 / Itsunori ONODERA

    日本 / Japan

    衆議院議員(自民、宮城) / Member of the House of Representatives

研究テーマ:被災地議員 記者会見

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