2003年10月06日 00:00 〜 00:00
アレクサンドル・N.パノフ・駐日ロシア大使

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会見リポート

「外交官のふるさと」は日本

飯島 一孝 (毎日新聞紙面審査副委員長)

「日本には15年間勤務した。私の生まれはモスクワだが、外交官のふるさとは日本だ」

パノフ大使は11月末の離任を控えたお別れ会見で、流ちょうな日本語で日本への熱い思いを語った。

赴任したのは96年10月。外務次官から新生ロシア初の駐日大使としてやってきた。ところが、翌年1月早々から、ロシア船籍のタンカー「ナホトカ」の重油流出事故に見舞われ、日本海沿岸を〝おわび行脚〟して回った。懸案の北方領土問題は、97年11月のクラスノヤルスク首脳会談を契機に解決へ大きな期待がもたれたが、鈴木宗男前衆議院議員の一連の事件で白紙に戻った形だ。

大使は会見で、在任7年間で達成できたこと、できなかったことをあげ、「(日露間で)一番遅れているのは経済。日本のビジネスは慎重すぎる」と日本の経済界に苦言を呈した。

さらに、政治家をはじめ両国間の人的交流も少なく、ロシアで日本に対する関心が低下していると嘆いた。

そうした状況下でも、プーチン大統領は領土問題解決への積極姿勢を崩していないと強調し、「日本を理解できるロシア初の指導者」との間で早期解決を図るよう、日本側にアドバイスした。

大使は赴任当初、雑誌のインタビューで「日露平和条約を大使在任中に締結したい」と語っていただけに、平和条約締結の見通しが遠のいたこの時期の離任に複雑な思いを抱いているに違いない。

ゲスト / Guest

  • アレクサンドル・N.パノフ / Alexander N Panov

    ロシア / Russia

    駐日大使 / Ambassador to Japan

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