取材ノート
ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。
拉致事件を巡り論争 /北朝鮮幹部の消息は書けず(塚本 壮一)2025年10月
2002年9月17日、日朝首脳会談。平壌・高麗ホテルで待機していた私たちNHKの3人を含む日本人記者団に会談の結果を伝える外務省幹部は沈鬱な表情で、声も小さかった。日本人拉致被害者のうち、横田めぐみさんらが死亡したとする北朝鮮側の通告内容を明らかにしたところで外務省キャップが会見場を飛び出して中継ポイントに走った。金正日総書記が「特殊機関の一部が妄動主義、英雄主義に走った」と拉致の事実を認め、謝罪したと言及したところで今度は私が飛び出した。階段を駆け降りる私を見てホテルの従業員らが笑うのが目に入り、腹が立ったのを覚えている。未明になってホテルの自室に戻ると、窓の外に漆黒の闇が広がっていた。「この暗闇の中で拉致された人たちが息を潜めているのか」と心の底から震撼した。
「こっちは命がかかっている」
北朝鮮取材では、対文協(朝鮮対外文化連絡協会)や外務省の職員らが日本メディアの各社に配置され、滞在期間中、ずっと顔を合わせることになる。数回にわたる訪朝取材では、そうした人たちとさまざまな会話を重ねた。
論争に発展することもあった。2006年7月の訪朝取材では、横田めぐみさんが火葬されたと北朝鮮が主張する火葬場に案内された翌日、「なぜ日本人は横田めぐみの死亡を信じないのか」と議論を仕掛けてきた人がいた。北朝鮮がめぐみさんは死亡したと日本のメディア各社に印象づけようとしているのに思うままにならないことにいら立ったのだろう。私が「ご両親が生きていると言っておられるのに、亡くなったなどと言えるのか」と反論すると、「メディアの責任だ」と話をそらした。思わず、「あなたは目が曇っている。目をしっかり開けてください」と言ったのだった。
拉致問題で日朝関係が悪化する中、北朝鮮で日本担当者が厳しい立場に置かれていることをうかがい知ることもあった。北京で会食をした北朝鮮外務省幹部は、その後平壌で会ったときには視線も合わせなかった。比較的羽を伸ばせる国外と異なり、周囲の目があるからだろう。日本を担当することの辛さを吐露した人もいる。日本の報道への不満を口にするので、私がネットで「朝鮮労働党の犬」などと嘲笑されていることに触れながらそれなりに懸命に仕事をしていると話したら、「これまで日本のメディアの世話をしたあげくひどい放送を出され、大変な批判にさらされてきた。こっちは文字通り命がかかっている」と言い返してきたのだった。
目そらし煙吐いて一気に
北朝鮮側と論争ばかりしていたわけではもちろんない。中継を前にコメントの下読みをしていたところ、先方のひとりが少し離れたところで聞き耳を立てていたことがある。私のそばに近寄ることは遠慮しつつも、リポートの内容を知りたがっている気配だ。彼らは上層部への報告の義務がある。どのみち私のコメントは放送で流れるから隠す必要もない。あえて大きな声で下読みを続けたのだった。そして、中継が終わると彼は笑顔で近づき、内容に不満を述べた。「聞こえましたよ」と言いに来たのである。
重要な情報を教えてくれた人もいた。現在、最高人民会議常任委員長を務める崔竜海氏が1998年に金日成社会主義青年同盟第1書記を解任されたあと動静が伝えられず、死亡説も取り沙汰されていた時期のことだ。取材の空き時間に建物の外で、ある当局者と二人きりになった瞬間があった。雑談をしていたのだが、話が途切れたところで思い切って「崔竜海さんはどうなったんですか」と尋ねてみた。相手はしばらく私を凝視したあと、「塚本さんは共和国のことをよく勉強していますね」とつぶやいて私から目をそらし、手にしていたタバコを口に運び、ゆっくり吸って煙を吐き出すと一気に言った。「崔竜海さんは自動車修理工場の支配人をしています。抗日パルチザンの息子さんであるのは知っていますよね。だから助かったんです。地方にも行かされずにすみました。平壌にいます。時がたてばまた要職に戻りますよ」。しかし、これを書く勇気はなかった。確認の手立てがなかったことと、なにより、相手を危険にさらすわけにはいかなかったからである。数年後、崔竜海氏は復権した。
金正恩氏のサプライズ演説
そして、金正恩時代。同氏が朝鮮労働党第1書記に就任した2012年4月、北朝鮮は日本や欧米など多くの外国メディアを受け入れ、最高指導者の本格デビューを華々しく打ち出し、権威を高めようとしていた。そのために私たち外国メディアにミサイル発射場や管制センターの取材を認めるという異例の対応を取ったのである。発射台に据え付けられたミサイルは部品を隠すための覆いも施されておらず、発射成功に自信を見せていた。ところが、発射は失敗に終わってしまう。しかし、その半日後に平壌中心部の万寿台の丘で行われた金正日総書記の銅像の除幕式に姿を現した金正恩氏は幹部らに笑みを見せ、大勢の人々に手を振ってみせた。当然といえば当然だが、発射失敗に終わったショックなど、おくびにも出さない。遠目にその様子を見ながら、指導者としての堂々たる振る舞いは天性のものと感じざるを得ず、若さと未熟さゆえに権力維持に失敗するとは限らないと悟った。
翌々日に行われた軍事パレードでは、金正恩氏が20分あまりにわたって演説するというサプライズを演出した。父親の金正日総書記が大衆の前で肉声を発したのは、「英雄的朝鮮人民軍将兵らに栄光あれ」と叫んだ1回だけである。式典の司会者が金正恩氏が演説を行うと告げると、金日成広場を埋め尽くす人びとの中には、意外な展開に隣同士で顔を見合わせる人もいた。金正恩氏の演説はやや早口で、緊張しているのではないかと感じたが、その低く、くぐもった肉声は金日成主席の声を彷彿とさせる。はたして、のちに行った市民インタビューでは「そっくりの声で感動した」などと称賛する答えが返ってきた。金正日総書記の死去から数カ月も経たないうちに北朝鮮指導部は新しいリーダーのカリスマ性を高めるべく着々と手を打ち、それがどうも効果をもたらしているらしいことを実感したのだった。
多国間イベント 予想外の訪中
現在、北朝鮮は核保有国を自認し、ミサイルの発射失敗も減った。先月には北京の天安門広場で行われた中国の「抗日戦争勝利80年記念式典」で金正恩総書記が習近平国家主席やロシアのプーチン大統領とともに、各国指導者を従えるようにして歩く映像も公開された。中朝首脳会談では、中国側が過去5回の会談では必ず言及した「非核化」に触れなかったことが注目された。調べてみたところ、中国側が使わなかった言葉は、ほかにも「推進」「実現」「解決」「対話」「共同努力」などがある。中国が北朝鮮の核問題解決に向けた意欲を失ったと断定することはできないが、少なくとも北朝鮮に気を遣っていることは確かだろう。
今回の金正恩総書記の訪中は、マルチ(多国間)の場には出ないという予測に反するものだった。娘を同行させたことも意外だった。北朝鮮のことを何もわかっていないと自覚させられる。外交的には余裕を持ち始めたらしい北朝鮮の行方はどうなるのか、さらにつぶさに観察しなければならないと覚悟している。
▼つかもと・そういち
1989年NHK入局 山口放送局(下関支局) 報道局国際部記者 中国総局 ソウル支局長 ニュース「おはよう日本」編責 解説委員などを経て 2019年から桜美林大学リベラルアーツ学群教授 2004年から24年まで東アジア専門誌・月刊『東亜』の「朝鮮半島の動向」執筆