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韓国民主化36年/成長と民主主義の夢いずこ/明るい明日信じた80年代(鈴置 高史)2023年6月

 韓国で民主化宣言が発せられた1987年6月29日、私はソウルにいた。86年にはフィリピンの独裁政権が倒れ、台湾も多党体制に踏み出していた。経済成長に成功したアジアは次第に民主化する。すると、戦争もなくなる――と当時は思ったものだ。いずれは中国さえ民主化すると考える人もけっこういたのだ。

 

コーヒーが無料になった日

 「今日は嬉しい日。コーヒーは無料」――。ソウルのど真ん中の喫茶店がこんな紙を張り出した。民主化宣言の瞬間から、街を歩く韓国人の顔が目に見えて明るくなった。

 野党側は87年12月の大統領選挙を、政権に有利な間接選挙から直接制に代えるよう要求。呼応した学生団体は街頭闘争を繰り広げた。当時の全斗煥政権は力で抑え込み警察の拷問で学生1人が死に、機動隊の催涙弾の水平射撃でさらに1人が死んだ。戒厳令を敷いて野党の指導者を一気に逮捕する計画も立てた。「このままでは国が滅びる」「米国に移民したい」と打ち明ける韓国の友人がいた。

 だが、緊張が極度に高まった瞬間、政権は直接選挙制を受け入れた。88年秋のソウル五輪が頓挫することを恐れたのである。この突然で全面的な譲歩に国全体が安堵した。民主化運動の指導者の一人で当時は軟禁状態にあった金大中氏もその日、自宅に集まった記者に「人間的な温かみを感じる」と語った。

 デモに参加し起訴されていた学生に対し裁判官は直ちに無罪を宣告した。反政府勢力への弾圧を嫌気して下げていた株価も急騰した。級長も先生の指名ではなく選挙で選ぶよう、変えた小学校も登場した。

 こんな明るい話を「成長が生んだ民主主義」として東京に送る日が続いた。駐韓日本大使も与野党間の大妥協を称賛、「何でも気楽に相談できる国が隣にできた」と民主化をわがことのように喜んだ。

 

原動力 むしろ人々の怒り

 もっとも、冷静に観察していた韓国人もいた。大手紙のC編集局長だ。「韓国も世界の新聞も『経済的自由を得た韓国人が政治的自由を求めて闘い、民主化を勝ち取った』と書く。いかにもそれらしいが、本当だろうか。政権を追い詰めたのは学生を殺す警察への人々の怒りだ。成長とは関係ない」

 私はギクリとした。確かにそうなのだ。「我が国の新聞はデモを1行も書けない。代わりに世界に知らせてくれ」と、現場までの料金を受け取ろうとしなかったタクシーの運転手さん。催涙弾を浴びる学生に、顔を拭えとおしぼりを屋上から投げたホテルの従業員ら。「我が国のために苦労をかけるね」と毎朝送り出してくれた下宿のおばさん……。皆が怒っていた。だが、最終局面で学生デモに加わった庶民が必ずしも民主的政体の実現を求めたわけではないのだ。

 ただ、民主化宣言と共に新聞の検閲はなくなった。拷問も21世紀初めまでになくなった。それを見て私は「きっかけは怒りであったにせよ、強権体制が終われば民主化する」と単純に考えた。

 C局長の発言を思い出したのは2014年。最大手紙、朝鮮日報を引用報道した産経新聞ソウル支局長が、大統領に対する名誉棄損で訴えられたうえ、出国禁止処分になった。朝鮮日報には何のおとがめもなし。それもあってか「言論の自由への侵害だ」と批判した韓国紙はごく少数だった。それどころかある大手紙は社説で「日ごろから産経は反韓国的だ」として起訴を正当化した。

 1987年、韓国人が望んだのは何だったのだろうか。学生らは何のために死んだのか――。

 この疑問が再び蘇ったのが2022年のロシアによるウクライナ侵攻の直後だ。韓国メディアの少なくとも4人の東京特派員が「日本がウクライナ支援に熱心なのは下心があるからだ」と書いた。国連常任理事国入りが狙いと断じた記者もいる。彼らは「直接、自分の得になること」があって初めて、強権国家に侵略された民主主義国を応援する気になると告白したに等しい。

 

「民主派」が指揮権の禁じ手

 民主化当時、日本にも冷ややかに眺めた人がいた。韓国研究者の田中明氏だ。「これは文人が軍人から権力を奪い返した事件である」。理念ではなく党派の争いと見切ったのだ。20年、文在寅政権が3度にわたり指揮権を発動した時、この評を思い出した。同政権の中枢は大統領以下、強権的政権と戦った「民主派」が担っていたからだ。

 いわゆる独裁時代、検察は政権の手先だったので指揮権を発動する必要はなかった。民主化後、青瓦台(大統領府)が指揮権を発動しようとした際には法務部長官が拒否した。法務部が屈したこともあるが、この時は検事総長が抗議のため辞任した。

 韓国も「指揮権は存在するが、安易に使えない」慣例が根付きかけていた。それを「民主派」が壊したのだ。「誰かが書くだろうな」と見ていたら、やはり東京特派員を経験した長老記者が「1954年以降、指揮権を封印した日本」と比較した。

 文在寅政権は2021年、メディアの虚偽報道に巨額の賠償金を請求できる「言論仲裁法改定案」の成立を目指した。虚偽報道による被害額の5倍以内の罰金を支払わせる、との法律だ。

 「5倍以内」とあるので抑制的に見えるが「虚偽か否か」と損害額は政府機関が決める。当然、新聞などを威嚇する強力な武器になるわけで「メディア懲罰法」とも呼ばれた。司法委員会では強行採決されたが、メディアや国際社会の猛反対もあって本会議への上程は見送られた。

 注目すべきは世論調査だった。ほとんどの調査で賛否が相半ばした。韓国でも「傲慢なメディア」への風当たりが強まる一方だ。日本語の「マスゴミ」に相当する「キレギ」(ゴミ記者)という表現も生まれた。その意味で不思議はないのだが、代金を受け取ろうとしなかったタクシー運転手氏はどこへ行ったのかと首を傾げもした。

 最近、S・レビツキーとD・ジブラットの『民主主義の死に方』に言及する韓国紙が目につく。この本は「民主主義を壊すのは今や軍人のクーデターではなく、選挙で選ばれた政権である」「政治的対立が激しくなると、権力は司法やメディアなど中立機関を取り込んで生き残りを図る」と警告した。韓国人は身につまされるのだろう。もちろん、日本人にとっても他人事ではない。

 

大正デモクラシーなぞらえ

 最後の「書かなかった話」は名刺も交換しなかった知識人との対話だ。民主化宣言の後も反政府集会は続いた。延世大学の芝生で学生の演説を聞いていたら、隣に座っていた助教授風の人に話しかけられた。ソウル外信記者クラブの腕章を巻いていたからだろう。

 民主化をさぞ喜んでいると思ったら、そうでもなかった。定着には時間がかかり、前途は多難と言うのだ。「日本の戦後民主主義も大正デモクラシーと、その蹉跌の上に咲いたのです」との言葉が耳朶に残る。

 この寄稿を若い人が読んだら「バラ色の世界を夢見る何ともおめでたい記者が昔はいたものだ」とあきれるに違いない。返す言葉もない。だが、本当のことだから記録に残すために書いておく。

 

すずおき・たかぶみ

▼1954年愛知県生まれ 77年日本経済新聞入社 大阪経済部 東大阪分室 国際部を経て ソウル・香港支局 経済解説部長 編集委員 2018年退社 「中国産業の勃興」を描き02年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞 06年東西センター・ジェファーソン・フェロー 著書に『朝鮮半島201Z年』『米韓同盟消滅』『韓国民主政治の自壊』など

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