ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。


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「ソ連帝国」崩壊とウクライナ独立/巨獣の体内、食い破った小国(船津 靖)2022年9月

 「あなたは本当のジャーナリストではない」。女の声が僕に言った。

南イタリアの輝く夏空。真っ青な海。ナポリ民謡「帰れソレントへ」で有名な保養地に僕はいた。

 1991年8月。年初に厳寒のモスクワへ新米特派員として赴任しバルト・カフカス地方、ウクライナなどソ連共和国の独立運動取材に駆け回った。待望の夏休み。妻子3人と到着し3日目の19日深夜「ソ連で保守派クーデター」の緊急連絡。電話口の外信部デスクは「帰れソ連へ、だ。ワッハッハ」。

 翌日夕ローマへタクシーで向かい21日朝の便で単身帰任することにした。地中海の見納めにひと泳ぎした僕に「記者失格」を宣告したのは妻だ。一刻も早く出発すべきだと言うのである。「帰任の便は変わらないよ」「早く空港に行けば何か手段があるはず」

 ローマのホテルで3時間寝てモスクワへ。空港から市内に向かう途中、クーデター失敗で営舎に戻る戦車の長い隊列と出会った。車上の兵士が見上げる空に虹がかかっていた。

 

ソ連のユダヤ人差別

 

 日ソ間の取り決めで特派員は各社2人まで。ロシア専門家でない僕は非公式の3人目。もともとはバンコクやパリの特派員に憧れていた。モスクワ赴任を告げられ武者震いした。共産主義の総本山だ。ドストエフスキーの国だ。父親の影響で子どものころからレーニン伝を読み「モスクワ郊外の夕べ」をロシア語で歌っていた。「反米親ソ」が自称インテリの旗印、という時代だった。

 初任地の栃木では記者クラブで将棋の合間に『悪霊』を読んだりしていたが、瀬川清茂モスクワ支局長から「現場取材する記者が一番えらい」との鉄則を叩き込まれた。外国人専用居住区ではない一般市民が住む界隈に部屋を借りた。家主はイスラエルへ移住する直前のユダヤ人歯科医。「周りのロシア人に財産を持っていることを気づかれないよう注意した」と話してくれた。

 僕のため英露語の通訳を雇うことになった。支局のロシア人は「女性がいい。美人がいい。日本人には長身でない方がいい」と勝手に「小柄な美人」コンテストの応募者を集めた。英語が上手で瞳に影のあるユダヤ女性がいた。ロシア人記者たちは「ユダヤ人が交じると結束が乱れる」と受け入れなかった。「勉強で勝てないから?」と嫌味を言うと「ああ、ユダヤ人に勉強では勝てないね」とあっさり認めたのには驚いた。

 

ゴルバチョフ、空港の言葉

 

 初のロシア共和国大統領選挙が91年6月に行われた。エリツィンは中の見えない投票ボックスから世界のメディアの前に上機嫌で現れた。僕は背後から入れ違いにボックスへ。紙切れでも落ちていないか探した。独り記者団から離れエリツィンの真後ろに付き従っていた。警護員がなぜ制止しなかったのかわからない。

 7月末ブッシュ米大統領がモスクワを訪問しゴルバチョフが空港で迎えた。海外通信社の数人が小部屋に入室を許された。僕は一心に聞き耳を立てた。どんな言葉で両首脳は会談を始めるのだろう。ゴルバチョフが口を開いた。「我々はとても重要な問題を話し合わなければなりません。我々が話し合うのはとても…」

 米大統領は戦略兵器削減条約(START)に署名し中東和平会議共同開催で合意するとキエフ(キーウ)へ直行。僕はユダヤ人虐殺の谷バビヤールで待ち受けた。ブッシュは慰霊の演説中に涙ぐみ声を詰まらせた。ユダヤ人の存在がとても気になってきた。ウェーバーの『古代ユダヤ教』を東京から取り寄せて読んだが、さっぱりわからなかった。

 

ミンスク発号外記事

 

 11月24日、ウクライナ大統領選取材で西部リボフ(リビウ)へ。投獄されていた候補は「独立を守る核兵器を手放してはならない」と訴えた。独立宣言が圧倒的多数で承認された。エリツィン主導でスラブ系3共和国の首脳会議が開かれるという。12月6日夜、キエフからプロペラ機でベラルーシのミンスクへ飛んだ。

 記者室で結果を待った。朝刊の締め切りは過ぎた。残るのは共同通信だけ。ファクスが音を立てた。共同声明の内容に呆然となり支局に速報、驚くモスクワから東京へ打電。「ソ連消滅」の大見出しが躍る号外が日本中で配られた。クレジットは【ミンスク(ソ連ベラルーシ共和国)8日船津共同記者】。でも書いたのは先輩の吉田茂之記者だ。突然の「ソ連帝国」崩壊の意義や権力闘争の壮絶は、共和国出張の「鉄砲玉」だった僕の理解を超えていた。

 12月25日夜の赤の広場。ソ連最後の日の思いを聞いて回った。共産党支持者も含め全員が「言いたいことを恐れずに言えるようになったのは本当によかった」と言論の自由を喜んでいた。締め切り間際の速報のため、当時の巨大な携帯電話を抱えクレムリンのソ連旗降納儀式を見つめた。赤い国旗は途中で何かに引っかかった。やがて旗は降りた。

 ミンスクで12月30日「独立国家共同体」11共和国の首脳会議が開かれた。ロシアとウクライナが軍の再編問題で早くも対立した。僕は首脳が行き来する会議場に潜入できた。入れたのはタスと共同だけと別の露通信社が報じた。速報を打ちまくった。これほど会心の取材ができたことはその後もない。記者登録担当の女性に高級チョコとストッキングをそっと手渡したのがきいた。

 翌年、クリミア半島に出張しヤルタ会談の舞台リバディア宮殿から初夏の黒海を眺めた。「長い冷戦の時代を経て、信じ難いことに超大国ソ連は消滅し、ヤルタのあるクリミア半島は今ウクライナ領の自治共和国である」と記事に書いた。ソ連解体の引き金を引いたのはウクライナ独立だ。背景にヤルタ会談でソ連領とされた西ウクライナの独立運動があった。「大国にのみ込まれた小国の人々が、さながら巨獣の体内を徐々に食い破るように、時間をかけて大国の内部を侵食し続け、ついにとどめの一撃を与えたかの感がある」

 結びは「大国の力に蹂躙されてなお屈しない小国の民が内に燃やし続けた執念を見ることはできよう」。

 歳月が流れ、クリミアは2014年、プーチン大統領のロシアに併合された。ウクライナは国土を侵略するロシア軍と死闘を続けている。

 

無神論者の国教会

 

 国際社会は様変わりした。人間の信条や価値観は時代や環境に左右される。退社して6年半。僕は記者人生の大半、リベラルな視点での客観報道に努めた。反省もある。ジャーナリズムはリベラリズムと不可分だが、「中道左派」は時に楽な立ち位置でもあった。

 ソ連共産主義とは何だったのだろう? 僕は今、米国の親イスラエル外交の背景を探っている。要因の一つにキリスト教福音派の黙示思想がある。福音派は不正な現世の破局的「終末」と至福「千年王国」の到来を信じる。共産主義の革命や理想社会と、装いは違っても、思想の構造や機能はとても似ている。

 キエフ生まれの哲学者ベルジャーエフは国外追放された後、共産主義の主敵は資本主義ではない、真の目的はキリスト教に取って替わることだと論じた。共産党はイエスに替えプロレタリアート(労働者階級)をメシア(救世主)とする「無神論者の国教会」だと主張した。

 ロシアとウクライナの紛争は宗教も複雑に絡む。当時、知識と広い視野があれば取材のやり方も違い、もっとよい記事が書けただろう。  

 

ふなつ・やすし

1956年佐賀県伊万里市生まれ 共同通信社地方3支局を経て91年モスクワ支局員 エルサレム支局長 ロンドン支局員 中東部会長 ニュースセンター総合関門 岡山支局長 ニューヨーク支局長 国際局次長 編集・論説委員などを経て 2016年から広島修道大学教授(国際政治学科) 著書に『パレスチナ 聖地の紛争』(中公新書)

 

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