ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。


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アルフォンス・デーケンさん上智大学名誉教授/死別の悲しみに寄り添う笑顔(笠間 亜紀子)2022年7月

 赤いセーターを着て東京・四谷の上智大学構内を速足で歩き、あいさつには笑顔で返礼してくれる。そんな姿が目に浮かぶ。

 ドイツ人神父で哲学者のアルフォンス・デーケンさんは「死への準備教育」の普及に努め、日本でがんの告知やホスピス、家族を失った人へのグリーフ(悲嘆)ケアを広めた功績で知られる。2020年9月に88歳で亡くなった。

 大学の入学式後に構内を案内してくれたのがデーケン先生だった。必修科目で宿泊合宿に行き、学科のクリスマスパーティーで盛り上がった。それらは楽しい思い出だが、記者となって3年目の1987年8月に再会し、その思想にさらに深く触れることとなった。

 主宰する「生と死を考える会」について取材の誘いを受けて定例会に何度か足を運んだ。会は家族の喪失体験を分かち合う集いで、社会人向けセミナーをきっかけに82年にできていた。

 その頃、死別の悲しみを抱えた人にどう接したらよいかわからなかった。初任地の山形支局で死亡事故があった時に遺族から拒絶されたことをよく覚えている。

 

悲嘆から立ち直る12段階

 参加した定例会のなかで忘れがたいのは子どもを自死で失った親の集いだ。車座に座って一人ずつ心情を語った。そのうちの何人もが途中で言葉を詰まらせた。

 死別による悲嘆から立ち直るまでをデーケン先生は12段階に分けている。集う人たちの思いは一様ではなく、デーケン先生は表情豊かに寄り添い、絶妙のタイミングでユーモアを交えて話した。張り詰めた緊張感はその度に和らいだ。

 

「にもかかわらず」笑う

 《ユーモアとは、「にもかかわらず」笑うことである》。故国ドイツのユーモアの定義というこのフレーズを折々で耳にした。

 デーケン先生から届いたはがきにある時、署名脇に小さなスマイルマークが描いてあった。メールや絵文字が普及していない頃で、見ると温かい気持ちになった。

 死生学でなぜ笑顔なのか。92年に死別を経験してああそういうことかと腑に落ちた。命を失った子を、陣痛を経て出産した。社会部で「東京はしあわせか」という長期連載を担当していた時だった。笑顔マークが心にしみ、「にもかかわらず」笑うことで前を向けるという言葉を希望のように感じた。

 学んだことはもう一つある。相手がわかるよう繰り返し伝えていくことの大切さだ。死がタブーだった70年代に大学で授業を始め、著書や講演などを通じて死生学を広めることに労を惜しまなかった。

 デーケン先生と再会したのは、がんと闘病の末に亡くなったジャーナリスト、千葉敦子さんをしのぶ「生と死を考える会」の会場だった。デーケン先生は「死への準備教育の必要性が認められる時代への転換点に、千葉さんの果たした役割は大きい」と話した。

 それから35年。亡くなるまで名誉会長だった「生と死を考える会全国協議会」ではいまも30団体が活動を続ける。少産多死の日本で、グリーフケアを必要とする人が減ることはないと思われる。

 振り返れば死別にかかわる取材機会も少なくなかった。現在、私が編集長を務める防災情報サイト「防災ニッポン」では命と家族をサイトのキーワードとしている。災害時に一人でも多くの人が命を守れるように。工夫して報じていこうと思っている。

 

 (かさま・あきこ 1985年読売新聞入社 現在 専門委員)

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