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三陸全体の復興構想を(IBC岩手放送 宿輪智浩)2018年3月

「イーハトーブ(理想郷)は築けていないよ…」

 

震災以前から親しくしている釜石市の男性に7年たったまちの状況を聞くとこう返ってきた。地域間で差はあるものの、岩手県沿岸部の復興は目に見えて進んでいる。復興交付金による大型事業はほぼ着工済みで、新しい商店街やマンション型の公営住宅も続々と整備された。それでも冒頭の言葉が出る背景には、将来の展望が見えないことがある。

 

7年間はあっという間だった。風化に抗うわけでもなく、今も自社のニュースに被災地の話題が登場しない日はない。夕方のニュース番組では毎週水曜日に「復興への羅針盤」というタイトルで6分前後の特集を放送し続けている。被災地である宮古市、釜石市、大船渡市の駐在社員を中心に制作していて、作業は大変だが話題に窮することはない。アナウンサーが仮設住宅を訪ね、住民に心境を語ってもらう「仮設住宅は今」もシリーズ化していて、放送は50回を超えた。このほか3カ月に1回、「忘れない3・11」と題した報道特別番組を放送しており、名物店の再開や、水産業の苦境、方言劇で人々を楽しませる集団などが最近の主人公となった。ハード整備の完了に伴い、より心の復興をテーマにしたものが増えていくだろう。

 

このように被災地と共に走り続けたつもりの7年間だったが、行政の復興事業と同じく、われわれにもグランドデザインが足りなかったかもしれない。全体としてどんな地域づくりを目指すのかが弱く、その場その場で個別の事柄を取り上げたに過ぎなかったのではという反省だ。

 

宮沢賢治の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」は壮大な話だとしても、三陸の人々の幸せを考えた地域全体の復興を今からでも描いていくべきだ。スタジアムを造っても利用する人がいなければ、防潮堤を造っても守る人がいなければ意味がない。住民の感覚とずれのない提言をし、未来を描いていくことは、地域メディアの責務と考えている。

 

最後に。自然災害は止められないが、この大きすぎた被害を教訓に、その土地を知り、人を知り、気質も知る全国の地域メディアが、それぞれ減災報道を続けることを願う。

 

(しくわ・ともひろ 報道部デスク)

 

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