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似顔絵作製記事で特集(石巻日日新聞社 平井美智子)2018年3月

東日本大震災からの7年間、石巻日日新聞には常に震災関連の記事が載っている。トップ記事もあればベタ記事もあるが、どこかに「震災」や「復興」の文字が入る。被災地の現状を視察研修に訪れる学生をはじめ県外の人たちにそう伝えると、素直に驚き震災を改めて思い返す人も少なくないようだ。そしてあの日以来、被災地では「日常」が「非日常」からスタートし、一つ一つの喜怒哀楽の積み重ねによって動いていることを心に刻んで帰っていく。

 

報道部の私のデスク後ろのボードに貼っている2016年12月14日付6面(最終面)の縮小コピーもそんな紙面の一つ。「震災から5年9カ月 一日も早く家族のもとへ」の見出しの下には、宮城県警が作製した身元不明者7人の似顔絵と身に着けていた服や所持品の写真が並ぶ。

 

東日本大震災による石巻地方(石巻市、東松島市、女川町)の犠牲者は5160人。このうち約700人は今も行方不明だ。一方で遺体が見つかっても身元が分からず、今も県内の霊安室にとどまっている遺骨は10柱。生前、何という名前で、どこでどのような暮らしを送ってきたのか―。科学技術が進歩を遂げた現代でも照会する手立てとして似顔絵が必要とされている。これが未曾有の災害に直撃された被災地の現実だ。1年以上前の紙面コピーを貼り続けているのは、この現実を忘れてはいけないとの思いからだ。

 

3月11日を前に組む特集企画で今年は似顔絵を作製している県警関係者を取材し、絵に託した思いや公開後の反響などについて取り上げた。作製者たちは、遺体の頭部にわずかに残っていた頬や口の筋肉を頼りに「何とかしてやろう」の一念で描いたという。中には焼死体や骨に近いものもあるが、歯牙の確認などで年齢層を割り出してイメージを作り仕上げた。こうした話を地元住民である読者に伝えることで、再び関心を持って似顔絵に触れ、小さな情報でも寄せられることを期待している。それが地域紙の役割でもある。

 

(ひらい・みちこ 報道部長)

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