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議論尽くしたい 防波堤 防災型か減災型か(東海新報社 佐々木克孝)2012年3月

悪夢の3.11から1年。あの日、あの時、大船渡湾口防波堤を見下ろす高台にある社屋にいた私は、これまで経験したことのない巨大地震に「津波が必ず来る」と確信した。

 

社内にいた記者、営業マンがカメラを抱え、一斉に海岸に向かって走り出す。危険は承知、「とにかくわが身の安全を第一に」と津波の取材を命じた。そのうち、1人が犠牲になった。今でも悔やまれる。

 

地震から10分後、第1波が湾口防波堤に押し寄せてきた。1965(昭和40)年に完成した海底40メートル、延長550メートルのコンクリートの要塞は、必死に押し波を食い止めている。5メートル以上も立ち上がった白い水壁は、その下が防波堤であることを教えていた。一転して引き波に変わる。背後をつかれた防波堤はもがき苦しみ、そして2度とその姿を見せることはなかった。

 

30分後、湾奥の中心市街地は大津波に呑み込まれていた。沿岸住民にとって防災上、大きな心の支えになっていた湾口防波堤は、津波の低減と流入時間を遅らせたという一定の減災効果はあったものの、もろくも破壊され、ハード面に頼る”安全神話”は崩れ去った。

 

あれから1年。今、国交省は津波で崩壊した湾口防波堤の復旧計画案を漁業者に説明している。震災前からの懸案だった水質浄化策のため、堤防の両端を開放したり、水中の堤防の一部を異形ブロックで組み、透過性の高い構造にすることも提示している。

 

湾口防波堤が消えてから、それまで閉鎖性海域だった湾内の水質はみるみる改善された。防波堤無用論もあるが、防災上、現実的ではない。かといって大船渡湾を被災前のようなヘドロの海にしたいとは誰もが思っていない。

 

漁業の観点では、開放部分は大きく確保したい。一方で広く開放すれば防災機能の低下につながり、沿岸部の防潮堤や浸水想定域にも影響が予想される。

 

津波被害に遭わない「災害に強いまちづくり」をどう築くのか。防災優先型か、自然と調和した減災型か。もの言わぬ海を前に、議論が再び始まった。

 

(ささき・かつたか 編集局長)

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