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自問自答続く 温度差と意識のズレ(IBC岩手放送 眞下卓也)2012年3月

 

東日本大震災発生から1年になる。しかし今なお被災地の放送局として何をどのように伝えるべきか、自問自答を繰り返している。

 

あの3月11日の地震の後、岩手県内は全域で停電し、多くの日tがテレビを見ることができなくなった。テレビを通じて避難も呼びかけたが、それがどこまで届いていたのか…。地元の人たちの役に立てなかったという無念さを今も引きずっている。そんな中で、高く評価されたのがラジオだった。IBCラジオでは、震災当日から無事だった人たちの生存情報を伝え始め、1週間ほどの間に2万人を超える避難者の名前を読み上げた。聴き慣れたアナウンサーの声は、被災者にとって大きな安心につながったという声もいただいた。

 

今回の震災は発生当初から「規模が大きすぎて捉えきれない」と感じていた。被災地の声を十分に拾い上げられずにいるのではないかという不安が常に頭の中にあった。岩手の場合、被害の大きい陸前高田市など沿岸の南部に取材が集中した。一方で宮古市より北の地域の被害を伝えるニュースは数えるほどしかなかった。その露出の差が、支援物資やボランティアなど支援の差につながっているという指摘を受けた。

 

時間の経過と共に、被災地と被災地外の温度差や意識のズレも生じた。被災地に常駐している記者たちは、「被災地は『現実』をニュースにしたいのだが、被災地外は『思い』をニュースにしようとする」と話す。復興に向けたニュースでも、先頭を走る人たちにスポットがあたる。しかし、いまだに前に踏み出せない人たちも数多くいる。そういう人たちと向き合い、その現実を伝え続けていくことも地元局としての責務だ。

 

被災地の人々は、このまま時間の経過とともに「忘れられてしまうのではないか」という不安を持っている。1年という区切りの後は、一気に震災報道が少なくなるであろう。最後に残るのはわれわれ地元のメディアだと思っている。被災地は、まだまだ震災の最中だ。美しいふるさとが蘇るまで被災地の人々と共に歩みをとめることなく前に進んでいきたい。

 

(まっか・たくや 報道部長)

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