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南海地震みすえて 見聞きしたもの伝えたい(高知新聞社 徳澄裕子)2012年3月

昨年1月、阪神大震災から16年の節目。私が兵庫県の実家で被災した様子を「忘れてはいけない あの朝」との見出しで紙面に掲載した。

 

とにかく長かった揺れや充満したガスのにおい、ぐしゃりとつぶれた家屋、近所で亡くなった女性―。記憶をたぐりながら、その多くを忘れてしまっていることにも気付いた。

 

その約2カ月後に東日本大震災が発生し、3月24~29日にかけ、宮城県仙台市荒浜地区、名取市閖上、石巻市、南三陸町に入った。波に襲われた後の一面灰色の景色が続く。人がそこで生きていた気配がすべて消されてしまったようだった。

 

ある避難所で取材していた際、片隅に小さく組み上げられた段ボールが目に入った。ふっくらとした男の子の写真とお菓子が並べてある。

 

そこにいた夫婦は、長男=当時(12)=が小学校からの避難途中に津波にのまれたこと、春から着る予定だった中学校の制服を合成して遺影を作ったことなどを説明してくれた。だがある瞬間、ぷつっと糸が切れたように「これは人災です」とおえつし始めた。

 

ほかの被災者からも、この言葉を度々耳にした。「防災無線は聞こえなかった」「避難所に逃げたのに」。大津波の威力が想像を絶するものだったことは実感したが、それ以上に身近な人を失った被災者の言葉は重かった。

 

東日本を襲った大災害は近い将来、高知にも降りかかる。東海・東南海地震との連動も危惧される南海地震が30年以内に発生する確率は60%程度。最大級の規模はマグニチュード9.0、県は津波や家屋の倒壊で最大約9600人の命が奪われると推定している。

 

高知から取材に来た理由を話すと、先の避難所の夫婦は「役に立ててもらえれば」と、振り絞るように話を聞かせてくれた。親の遺体と対面した子ども、身動きがとれず波にのまれた多くの人、荒野のようになった土地―。見聞きしたものの一つ一つを、絶対に忘れずに伝えたい。

 

(とくずみ・ゆうこ 社会部/2010年入社)

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