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初日はカメラ回せず 二つの目線を忘れずに(フジテレビ 仁尾かなえ)2012年3月

 

震災発生から3週間後、私は「被災地」と化してしまった地元、仙台に帰る時間をもらい、小さいころにいた石巻を訪れた。

 

知っていた町が消えた…。その衝撃にただただ立ちすくむしかなかった。私は結局、持ってきたビデオカメラを1秒もまわすことができず、ずっと憧れていた記者という仕事は、自分にはできないのではないかと思った。

 

絶望感を抱えながら東京に戻った数日後、今度は、特番の取材で宮城県へ行くことになった。無力に立ちすくみ帰ってきた私に取材なんかできるのだろうか、不安と恐怖でいっぱいだったのを覚えている。

 

自分がいる現場では、震災の全体像を伝えようとする一方で、友人らからは毎日のように「なんでどこのチャンネルも同じ津波の映像ばかり流すの?」「誰が生きてるか伝えてほしい」といった声が届いた。

 

当事者にとっては「自分の大切な人は無事か」という個々の命の問題だということも痛いほどわかった。それでもきっと、被災地の思いを伝えることで、日本中、世界中の人たちにとって震災が「遠い話」ではなく、身近な痛みとしてとどめてもらうことには意義があるはずだと思った。

 

決意新たに、カメラクルーやキャスターとともに訪れた宮城県亘理町。目の前の痛みを一つひとつ、丁寧にかみしめていくような思いで取材したあのときの感覚も、石巻でのむき出しの心に突き刺さるような衝撃も、私は一生忘れないだろうと思う。

 

記者という仕事の一番の難しさは、目の前にいる人の痛みに寄り添い、同じ意識を持って取材をしようとする一方で、少し離れた場所から自分の取材を見つめなおして伝えることを同時に考えなければならないことだと、あらためて学んだ。

 

これから5年、10年、20年…地元の復興にそれだけの時間がかかるなら、私もそこに寄り添っていたい。当事者と同じ目線で取材をし、俯瞰的な広い目線で放送をする。その2つの目線を忘れない記者になりたいと思う。

 

(にお・かなえ 警視庁クラブ/2009年入社)

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