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迷いながら質問 遺族の強さ優しさに支えられる(読売新聞社 中川慎之介)2012年3月

 

緊急地震速報を告げる携帯電話の振動、それに続く激しい揺れ。取材に向かった沿岸はがれきと水に覆い尽くされ、犠牲者が整然と並ぶ遺体安置所は静けさに包まれていた。そして、着の身着のままの人たちであふれかえった避難所の光景――。

 

あの日から1年がたつ今も、震災発生当初に触れた数々の衝撃が脳裏にありありとよみがえる。その強烈さは、震災前に県警の所轄担当として過ごした、決して平坦ではなかったはずの1年間が一気に色あせて感じられるほどだった。

 

そして、何より強く印象に残るのは、失った大切な人について語る遺族たちの表情だ。

 

宮城県南三陸町の避難所の救護室で、30歳代の女性ボランティアを取材した。同居の母親を1週間前に津波で亡くしたばかりにもかかわらず、てきぱきと要介護者の世話をこなしている。取材にも明るい表情で応じてくれる。

 

だが、生前の母親の人柄について尋ねると、一気に表情が崩れた。「母は強い人で…」。それ以上は言葉にならず、女性の頬を涙が伝った。その様子を直視するのがつらく、申し訳なく、女性の傍らに立ちつくすことしかできなかった。新聞記者として質問しないわけにはいかない事柄が恨めしくすら感じた。

 

それでも、涙をぬぐった女性は「母のことを聞いてくれてありがとう」と笑顔で声をかけてくれた。心から救われた思いがした。

 

「故人はどんな方でしたか」。がれきの町で、避難所で、仮設住宅で、幾人にこの質問を投げかけただろうか。その度、相手の心を傷つけるのではないかという怖さを感じた。

 

大切な人を亡くした遺族にとって、つらい問いかけだったはずだ。だが、彼らは一様に表情をゆがめながらも、話をしてくれた。残された人たちの強さと優しさに支えられ、何とか成り立つ取材ばかりだった。

 

失ったものがいかに大きいかを伝えるため、迷いながらも遺族への取材を続けた。それが入社1年目で未曽有の災害に直面し、私にできた唯一のことだった。

 

(なかがわ・しんのすけ 東北総局/2010年入社)

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