ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。


3・11から1年(2012年3月) の記事一覧に戻る

殉職した君の分まで「福島」と向き合う覚悟だ(福島民友新聞社 国分利也)2012年3月

東日本大震災から東京電力福島第一原発事故へと連鎖した複合災害から1年。原発事故に伴う避難指示などで15万人超が故郷を離れ、福島県民は目に見えない放射線と向き合う生活に不安を抱く。放射性物質による課題は山積しており、今も災害の真っただ中にいる。

 

中通りにある人口約6万人の二本松市を管轄する二本松支社に配属され、勤務2年目を前に震災に遭遇した。同紙は地震被害が少なかったが、原発事故に伴う避難指示で福島第一原発に隣接する浪江町が同紙に役場機能を置き、大勢の町民が避難してきた。同紙の受け入れ態勢をはじめ、避難者の苦労や苦悩、故郷を追われた怒りなどを取材した。現在も仮設住宅などで顔見知りとなった避難者を追い続けている。

 

同氏は、福島第一原発から直線で約50キロに位置する。原発事故の直接的な被害はなかったが、拡散した放射性物質の影響は甚大だ。浪江町などの避難指示区域に隣接しており、放射線量も低くはなく、市民の中には自主的に避難した人たちもいる。被ばくによる健康問題をはじめ、仮置き場が決まらず進展しない除染作業、放射性物質に汚染された農産物、汚染された疑いのある砕石が新築マンションの基礎部分や護岸工事など公共事業に使われていた問題などは、解決の糸口さえ見えない。

 

「国や東電は『責任』の意識が欠落している。だからスピード感がない」とは、同市や同町の主張が口にする共通の言葉。「県民軽視で責任感を失した」と国、東電を批判し、対応が県民生活の実態に伴っていないと指摘。「復興を主導すべき国が、復興を妨げている」と手厳しい。原発事故の災禍が重くのしかかり、本県復興の足取りは遅いが、懸命に前に進もうと動き始めた住民は多い。地元記者として、国の原子力政策の犠牲となった「福島」のこれからに向き合う覚悟はある。県民の視点に立った責任感ある報道で復興を後押ししたい。

 

最期に震災直後、最前線で取材に当たり、住民に避難を呼びかけて殉職した相双支社記者の熊田由貴生君の冥福を祈る。同期入社の君の分まで福島の今後を見つめていきたい。

 

(こくぶん・としや 二本松支社/2009年入社)

 

前へ 2019年11月 次へ
27
28
29
30
31
2
3
4
5
6
9
10
16
17
19
23
24
25
26
30
ページのTOPへ