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熾烈だった「斎藤VS平岩」財界総理レース 稲山さんの「協調哲学」全開(八牧 浩行)2013年5月

経済記者として多くの分野を担当し、様々な出来事に遭遇した。360円から308円への円切り上げ、石油ショック、日本企業の海外進出、円高不況、バブルの形成と崩壊、平成金融恐慌…。まさに激動の時代であった。思い出は尽きないが、その中から1つの話題をお伝えしたい。


1985年から3年間、財界を担当した。今と異なり、経団連が団体政治献金を通じて政界ににらみを利かし、光り輝いていた時代。忘れられないのは稲山嘉寛経団連会長(新日鉄相談役)である。


「これから日本はどうなってしまうんでしょうかね。私の言うことに耳を貸してくれない人が多いけれども、私は心配でなりません」─。ある日稲山さんはこう切り出した。


「どんな心配?」と問うと、「人間は動物のように競争してはいけません。人間同士、お互い惻隠の情というものが大切。これがなければ動物と同じです」。


日本の対外貿易黒字が膨らみ始め、経済摩擦の萌芽とも呼べる雰囲気が漂っていた時代のことである。稲山さんは、いち早く日本からの輸出自主調整論を唱え、「米国など他の国のことも考えてあげるべきだ」と呼びかけたが、手ごたえはさっぱり。自動車、電機など大幅黒字の元凶となっていた業界は、シェア戦争に勝つことに血道を上げ、稲山さんの輸出自主調整論に耳を貸さなかったのである。「早く何とか手だてを日本側が打たないと、アメリカは黙っていません。法的措置を取りますよ」とも警告していた。


その後、巨額貿易黒字を背景とする対外経済摩擦がさらに燃え盛り、東芝機械のココム違反事件など日本バッシングが激化。電撃的プラザ合意による「円の実質大幅切り上げ」のほか、対日制裁色の強い包括通商法、日米構造協議など次々に「対日要求」が突き付けられた経緯をみると、まさに慧眼であった。


◆飛び出した衝撃発言


世田谷区代田の私邸にもよく訪ねた。私にとって忘れられないのは1985年10月のある夜のことである。


いつものように、宴席のあと10時半ごろ帰宅した稲山さんは、「今日は何ですか?」とニコニコ顔で迎えてくれ、「まあ一杯やりましょう」。


稲山さんは、目の中に入れても痛くないほどかわいがっていた白い子犬を抱き、「ペコちゃん、寂しかったかい」と撫でながら、ソファに座りオールドパーの栓を抜いた。奥さんは熱海で静養中とかで、夕方お手伝いさんが帰宅した後は大きな屋敷に一人だけ。箱から取り出したミカンをテーブルに置いて勧めた。


例によって、日本の産業界に国際協調の立場から「我慢」を求める稲山哲学の解説や米国問題などを聞いているうちに、酔いが少しずつ回ってきた。ふと稲山さんの顔を見ると、いつになく紅潮しており、日ごろの冗舌にさらに磨きがかかったようだった。やがて飲むほどに、稲山さんは語り始めた。


「鉄鋼業というのはユーザーのすそ野が広く、輸出も輸入もしている。その意味ではバランスがよく、経団連の会長として、その出身者は適しています……」


そして「斎藤(英四郎・新日鉄会長)は最近どうですか」と逆に聞いてきた。一瞬びっくりしていると、「斎藤は以前はお坊ちゃんのところが抜けきれなかったが、最近財界人として自覚が出てきた。今年春の経済同友会(代表幹事)人事は平岩(外四・東京電力会長)さんが断ったので混乱しましたが、斎藤が動いて石原(俊・日産自動車社長)さんでまとまった。斎藤は強運の男です。彼はよいものを持っており、きっとやりますよ」。


「本当にやりますか?」と私。小唄や長唄で鍛え上げた声で「やりますよ!」と明言した。


◆地域独占企業の是非?


これは衝撃的な発言だった。この時、経団連会長の改選期(86年5月)まで半年あまり。稲山さんは3期6年の任期を終えるため、「次期財界総理」レースの下馬評が乱れ飛んでいた。「平岩氏か斎藤氏か」の熾烈な争いである。平岩氏は経団連副会長の経歴も斎藤氏より長い上に、新日鉄出身者が2代続くことへの反発もあり、「平岩優勢」との見方が多かった。


こうした中、後継指名に大きな影響力のある当の稲山さんは公式非公式を問わず一切ノーコメントを押し通していた。座談の名手、稲山さんの話はいつも軽妙洒脱で面白かったがガードは固く、新聞記者にとっては「ニュースにならない財界人のナンバーワン」。この日の夜回りも、ほとんど「期待」していなかった。


稲山さんは飲むほどに、「平岩さんは人格者ですが、今は貿易摩擦をはじめ産業界は難局にあり、メーカー出身者でないと乗り切れない」と続けた。東京電力は地域独占企業であり、政府・エネルギー庁の監督下にあり産業界のリーダーにはふさわしくないというわけである。


この翌日、裏付け取材した上で「次期経団連会長に斎藤氏」の記事を一面トップ用に配信することができたのは幸運であった。


思い起こせば、稲山さんは「鉄は産業のコメ」「モノづくりこそ日本の生きる道」というのが口癖。鉄鋼業界に誇りを持ち愛弟子ともいうべき斎藤氏に大きな期待を寄せていたのだ。


「明るさを求めて暗さを見ず」をモットーとする斎藤氏は豪放磊落な行動派で財界人仲間も多かった。これに対し、平岩さんはもの静かな教養人で大変な読書家。本が山と積まれた東電会長室で読書の話をするのは私にとって大きな楽しみだった。30分のアポ時間が過ぎても本の話題で盛り上がると、時間を延長して応対してくれた。新聞記者の間では圧倒的に平岩氏の方がファンが多かったように思う。


ネアカを地でゆく斎藤氏は稲山さんの後継経団連会長に就くや、日経連、日商、同友会を含めた「財界4団体一枚岩」論を実践し、国鉄民営化に伴うJR各社の首脳人事や日航人事などで指導力を発揮。対外摩擦解消に向けた経済交流などのため欧州、米国、韓国、中国、豪州と文字通り東奔西走した。


私は斎藤氏が率いた経済ミッションに度々同行取材したが行く先々で笑いが絶えなかった。この民間外交団には盛田昭夫・ソニー会長、豊田章一郎・トヨタ自動車社長、磯田一郎・住友銀行会長、八尋俊邦・三井物産会長ら日本を代表する大企業トップが顔を揃え、摩擦緩和に効果があったと思う。


◆斎藤後継・平岩氏も「共生」を推進


東京電力は平岩氏を財界総理にすることが悲願だったとも言え、陰に陽に猛烈な「運動」を展開。90年12月、平岩氏は経団連会長に就任した。


平岩氏は財界人として「共生」をキーワードに全方位で共存を図る「平岩哲学」を推進。都銀の利益供与、証券会社の損失補填など企業の不祥事が噴出したのを受けて、企業規律を厳しくする企業行動憲章を制定。政治献金廃止など立派な業績を残した。


ただ、東電本体は、念願の財界総理を実現し、産業界のトップ企業に躍り出たことで「官僚的権威主義」が助長されてしまったのではないか。「経団連会長出身会社から電力料金値上げや発電所設置の申請が出れば、政府としてもむやみに却下しにくいのでは」との見方もあった。


いつの間にか、東日本大震災に伴う福島第一原発事故につながる「体質」が醸成されたのかもしれない。今は亡き平岩氏は今日の東電の惨状をさぞや嘆いていることだろう。


世界的金融危機を経て市場原理主義が見直されている現在、日本や世界全体の安定と繁栄を優先させるべきだと協調の精神を説いた「稲山哲学」は、輝きを増していると思う。


稲山さんは「資本主義と社会主義を足して二で割ったような人間重視の経済体制が望ましいかもしれませんね」と私に語りかけたこともあった。単なる保守ではない「修正資本主義」「リベラル」とも言えるこの考え方は、世界の大半の国で、政権党か有力野党として息づいている。自由経済のひずみを直し、各種保険制度導入や銃規制を推進する米オバマ政権も同類と言え、「保守」全盛の日本でもなお有用だろう。




やまき・ひろゆき

1947年生まれ 1971年時事通信入社 ロンドン特派員 経済部長 取締役社長室長 常務取締役編集局長などを歴任 現在 株式会社Record China代表取締役社長兼主筆 著書に『中国危機─巨大化するチャイナリスクに備えよ』(あさ出版)など

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