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私とベトナム-その② ラジオ少年とサイゴン解放ラジオ放送(田中 信義)2011年4月

まもなく4月30日を迎える。「サイゴン解放」の日だ。私は1975年2月から4月25日まで、ジャカルタからサイゴンに応援取材に出張していた。北ベトナム軍と解放戦線軍がホーチミンルート、国道1号線を南下して大攻勢をかけているさまを中部ベトナムのダナンやバンメトートなどで取材を続けていた。というより、中部あるいは北部から敗走して来る南ベトナム政府軍や難民を取材していた。

結局、4月30日北ベトナム軍や解放戦線軍は解放旗を掲げた戦車を先頭に、いわば無血入城の形でサイゴンに入り解放した。南ベトナム政府軍は壊滅状態だった。私はその数日前、タンソニュット空港から国外に出た。したがって、解放瞬間はその現場にいなかった。最後まで居残ったNHKサイゴン支局の仲間は、この瞬間を見事撮影した。


あれから36年が過ぎた。先日、友人S氏にベトナム戦争の話をした。するとS氏は、こんな話をしてくれた。

「そのころ私は京都で中学生。ラジオ少年だった。短波受信機で各国の短波放送を聞くのに夢中だった。夕方になると、いつものようにラジオの前に座って、遙かヨーロッパやアジアから飛んでくる各国の放送に耳を傾けるのが日課だった。中学生だった私は、まだ英語がかろうじて理解できる程度の語学力しか備えていなかったが、なぜかいつも、短波9620kHzで出ていたサイゴン放送(当時は南ベトナムのVTVNと呼ばれていた)を聞いていた。

放送はベトナム語。中身は分からないのになぜか、この周波数を定期的にチェックしていた。南ベトナムのVTVN放送は、ちょうど日本時間の午後6時にニュースの時間があって、その前にベトナムの琴で演奏されるニュースのテーマ音楽が流れていた。これを聞けばVTVN放送だとすぐに分かった。サイゴン解放のニュースはテレビで知った。そのとき浮かんだのが、あのVTVNの9620kHzは何を放送しているんだろうということだった。

早速4月30日、日本時間の午後6時に周波数を合わせた。飛び込んできた音声はVTVNの聞き慣れた、琴によるニュースのテーマ音楽ではなかった。男性と女性のアナウンサーによるアナウンスとブラスバンドの演奏による短い音楽だった。私は、ラジオを通してベトナムの変化をオンタイムで直に感じた。

いきなり音楽が流れ興奮したアナウンサーの声が聞こえた。録音をとった。何をいっているのか分からないが、何か重大なことに違いないと思った。

その録音テープはそのまま長年、他のテープと一緒に本棚の奥に眠っていた。今回36年ぶりに持ち出して、ベトナム語専門の友人に聞いてもらった。

すると「こちらサイゴン解放ラジオ局、サイゴン、サーディン人民の声です。サイゴンから放送しています」というアナウンスだった。この声は更に続く。「リスナーの皆さん、今回の時事番組の時間ではニュースをお聞きください」と。

私は驚いたし、興味を持った。ぜひ聞かせてくれないか、と頼んだ。S氏は早速テープからCDにして持ってきてくれた。今となっては貴重な資料だ。

彼はいう。「不思議ですね。私が中学生でラジオに夢中になっていたとき、田中さんがすでに現場で取材していたのですね」

またブラスバンドの曲は「ベトナムを解放しよう」という解放戦線の歌だった。

ラジオ好きの中学少年が、あのサイゴン解放の瞬間を記録していたとは、偶然とはいえ、あっぱれと誉めてやりたい。(元NHK 2011年4月1日記)

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