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ゴルバチョフにかかされた冷や汗(小林 和男)2009年12月

レイキャヴィック米ソ首脳会談は決裂か
海外特派員の14年間は歴史の転換の出来事に恵まれて幸せだったが、冷や汗のかき通しだった。中でも心臓が破裂するような思いをしたのがゴルバチョフの人事だ。

彼が54歳の若さで書記長になって4カ月後、世界注視の人事を発表した。場所はクレムリンの最高会議場。ゴルバチョフをトップに推したのが長老グロムイコ外相だった。28年間も外相の地位にあり、国連に乗り込んで安保理で拒否権を連発し、Mr.ニェットの異名で米ソ対決路線をリードして来たご存知の人物だ。

●シェワルナゼwho?

彼がゴルバチョフ支持の一人だったことは情報を得ていたから、当然のことながらグロムイコに引き続き外交の重責を担当させるものだと思い込んでいた。壇上に立ったゴルバチョフの発言に腰を抜かした。「シェワルナゼ同志を外相に指名する!」

日本との時差は5時間、当時のテレビ中継の煩雑さを考えると人事の結果を7時のニュースに間に合わせるにはぎりぎりの時間だ。

シェワルナゼって誰だ?! グロムイコ留任でリポートを考えていた頭は真っ白だ。汗が噴き出した。何とか衛星中継にリポートを乗せて7時のニュースには入れたが、聴視者の目はごまかせない。東京からは随分慌てていましたね、という反応がいくつもあった。また冷や汗。

後から分かるのだが、ゴルバチョフの狙いは先例にとらわれない人物の起用にあった。アメリカとの対決から対話に方向を変えるには、28年間も外相だった人物では無理だ。その狙いが当たってアメリカも応え、シェワルナゼ外相就任から1年3カ月後、アイスランドのレイキャヴィックでゴルバチョフ・レーガンの米ソ首脳会談が実現した。

本題ではないが冷や汗ばかりではなかったこと、つまり少しばかりの自慢話をお許しいただきたい。ゴルバチョフ・レーガン会談はアメリカのSDI宇宙兵器開発構想を巡って対立した。ゴルバチョフは対抗措置でまた軍拡競争が激しくなるだけだと反対したが、レーガンの態度は変わらず、首脳会談は決裂した。

決裂はシュルツ国務長官がまず明らかにした。続いてゴルバチョフが記者会見することになっていた。ここは何としてもゴルバチョフに質問したい。といっても会場の高校体育館を埋めた記者は数百人。どうやったら質問できるか。

会場に早めに行って席を取った。ゴルバチョフの視線の癖を考えて6列目中央より向かってやや右寄りの席だ。会談決裂で顔を真っ赤にしたゴルバチョフが会場に入って来た。気を落ち着かせるようにミルクティーを飲んだ。いつもの癖だ。

●そこの、たぶん日本人!

会見が始まりゴルバチョフと視線が合ったとき、渾身の力をこめて手を挙げた。「そこの、たぶん日本人」これが私を指した時の彼の言葉だ。「世界は米ソの行方に心配している。ソ連はどうするのか?」

単純に聞こえるが、何かと言えば世界とか人類と大きく構えるゴルバチョフの性質を考えて練った質問だ。「会談はこれからのアメリカとの対話の第一歩だ。決裂ではない」。ゴルバチョフの答えだ。このときレーガン大統領一行はすでにアイスランドの米軍基地を発っていたが、ゴルバチョフのこの発言を知り、会談決裂の発言を対話の第一歩だと軌道修正した。

ゴルバチョフは「レーガンの態度に腹がたち、アメリカを握りつぶしてやりたいような気分で記者会見場に向かったが、記者が世界の将来を心配していることがわかり、とっさにあの答えが出た」と、冷戦終結後私のインタビューに語っている。

会見は生中継の準備もしてあったため、ゴルバチョフとのやりとりも収録されていて、冷戦の終結に一役買ったと、私がひそかに誇りにしている記録だ。

米ソの話し合いが進み地中海マルタ島での米ソ首脳会談で冷戦の終結が宣言されて12月でちょうど20年になる。いささかの感慨をもってレイキャヴィックを訪れた。会談が行われた海岸沿いの小さな館などを回り、レーガンが飛び立った米軍基地もなくなっていることを知り、冷戦終結とソ連の崩壊でアメリカ一極支配になった経済に悪のりしたアイスランドが、リーマンショックで破産状態にあることなどを聞いて帰国したら、日本の政権が代わっていた。

政権党になった民主党が矢継ぎ早にこれまでと違った政策を実行に移している。これはゴルバチョフとシェワルナゼの時に見た姿だ。

ゴルバチョフは先例や慣習にとらわれない人物を外交の指導者にすえた。シェワルナゼは外交に関わったことはないし、外国にも疎い。正確に言えば兄弟国のブルガリアへ行ったことがあるだけで外国語はおろかロシア語もグルジア訛り丸出しだ。いわば外交の素人だ。だから旧来のしがらみや先例や儀礼にとらわれずに、新鮮な発想で仕事ができるだろうというのがゴルバチョフの狙いだ。もちろんその裏には二人の長い間のソ連改革の夢があった。

●素人外相に寝たふり官僚

ずぶの素人が外務省に乗り込んで、たちまち外務省内にはパニックが起こった。30年近くも同じ大臣を戴き、発想も行動もこれまでのやり方で丸く収まっていたのに、素人大臣が筋が通らないとか、金の使い方が違うといちいち指摘しはじめたから省内はたまったものではない。

では官僚たちはどうしたか。いまロシアの国連大使をしているチュールキンがシェワルナゼ新外相の報道官をやっていたが、彼は「外務官僚たちははじめ寝たふりをした」と言った。表立っての抵抗ではないが、陰湿なやりかただ。

民主党の場合はどうなるのだろう。シェワルナゼは官僚と戦うと宣言して外務省に乗り込んだわけではないが、鳩山内閣は次官会議を廃止し、次官による会見も止めさせて、明確に官僚を押さえ込もうとしている。これまで国会答弁から政策の立案まで、官僚が取り仕切って来た自負心は傷ついているに違いない。小泉総理が田中眞紀子外相を実現させたときもゴルバチョフ・シェワルナゼのやり方かと思ったが、こちらは陰湿というより露骨な抵抗に遭って素人外務大臣はあえなく辞任に追い込まれた。同じようなことが起こらないだろうか。

シェワルナゼ外相のチュールキン報道官とは不思議にうまが合って、個人的にもたびたび会っていた。

シェワルナゼが保守派の抵抗に抗しきれず1990年暮れに突然辞任した直後の元日、チュールキンと私はサヴォイホテルで食事をしながら、シェワルナゼを事務総長に出来ないものかと夢を語ったこともある。小国出身者が事務総長になる慣例の国連に、いくら優れた人物とはいえ大国の前外相が座ることなどあり得ないことだが、優れた人物をもったいないという気持ちでまじめに話し合った。その彼はいま国連大使になっているが、ロシアでは国連大使は外相の有力候補だ。今のラブロフ外相も前職は国連大使だ。

●国民の支持と睨みを武器に

そのチュールキンに、外務官僚が表立って抵抗しなかったのはなぜだと聞いたことがある。1つは国民の支持。もう1つは睨みだという。共産党即世論だったソ連では世論調査などなかったが、もしあったとすればゴルバチョフ政権への支持率は鳩山内閣以上だったろう。国民の多くの支持があるかぎり、官僚も手を出せなかった。シェワルナゼはグルジアでKGBの長官をやり辣腕を振るった経歴がある。それが外務省の中でも睨みになっていたのだという。

そのゴルバチョフ・シェワルナゼコンビが追われるようにして権力の座を去らざるを得なくなったのはひとえに実績の欠如だ。冷戦終結という歴史に残る成果があるではないか、と思うのは庶民の心を理解しない発想だ。暮らしが少しも良くならないという庶民の声の前には外交など意味を持たない。民主党を素人の政治などとは言わないが、先例にとらわれない政策の行方を見るのに、ゴルバチョフ・シェワルナゼの歴史は実に示唆に富んでいる。




こばやし・かずお会員 1940年生まれ 東京外語大卒業後 NHK記者 モスクワ ウィーン駐在14年92年モスクワ支局のソ連崩壊報道で菊池寛賞 93年モスクワジャーナリスト同盟賞 現在作新学院大学特任教授 サイトウ・キネン財団評議員 著書に『エルミタージュの緞帳』(日本エッセイストクラブ賞受賞)『狐と狸と大統領』など
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