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「食料自給率100%」を考える(加倉井 弘)2009年8月

まやかしの数字に踊るな
日本の農業くらい「表と裏」、「建前と本音」の食い違っている世界は珍しい。だから「書いた話」よりも「書かなかった話」のほうが圧倒的に多い。「なぜ輸入汚染米が食用として流通したのに、国産のカドミウム汚染米は流通しなかったのか」とか、「BSE(いわゆる狂牛病)対策に関しては、日米の牛肉は安全性においてほぼ同等であるという見解はどういう意味なのか」「なぜ食品の偽装表示を農水省は取り締まれないのか」といった食の問題から、「6兆円を超えるウルグアイラウンド農業合意対策費はどう使われたのか」とか、「なぜ多くの農家がコメの生産調整に反対なのに農協は賛成なのか」「なぜ都市近郊農家は農地保全の線引きに反対するのか」といった農の問題まで、多すぎてとても書ききれない。

だから今回は、「食料・農業・農村基本計画」で日本の国家目標とされた「食料自給率」について書こうと思う。

●3倍の農地が必要だ

まず、日本の食料自給率が4割になったから日本の食の安全保障が危うくなった、農業振興政策で5割にしたいという現在の国家目標はおろかで無意味である。食料自給率を100分率で表すということは、食料自給率は100%が当然だと考えているということである。だが今の日本人の食料消費を前提とすると、100%自給は絶対に不可能である。食料を作る土地、農地が足りないからだ。

もう少し詳しく説明しよう。現在日本が外国から輸入している穀物は、家畜のえさ用のトウモロコシが1200万トン、小麦が600万トン、大豆が500万トンもある。これを自給するということは、これらの輸入穀物を日本国内で作るということだ。

ではそのために日本国内にどのくらいの農地が必要なのか。農業に詳しい人間なら、それぞれの穀物の「単位面積当たり収量」から計算できる。小麦600万トンを作るには農地が200万ヘクタール必要だし、大豆を500万トン作るには農地が250万ヘクタール必要だ。

このように現在輸入している「主な農産物」を日本国内で作るのに必要な農地を合計すると、政府の控えめな計算でも1200万ヘクタールになるという。バナナやオレンジ、コーヒーや紅茶、ワインやウイスキーなどの「主な農産物でない」農産物の輸入も含めると、日本の食料自給率を100%にするには、1500万ヘクタールの農地が必要だろう。現在日本にある農地の面積はわずかに500万ヘクタール弱、最近耕作放棄地が目立つとはいえ全部使っている。食料自給率を100%にするには、現存農地のほかに、新たにその3倍の農地が国内に必要になるが、日本列島のどこにそんな土地が残っているのか。

●食生活の変化、消費2倍の内実

昭和30年代に8割もあった日本の食料自給率はなぜ4割に減ってしまったのか。それは農業生産が半減したからではない、消費が2倍になったからだ。食料自給率とは、分母が総消費量、分子が国内生産量で計算される数値である。自給率が8割から4割になったのは、分子が半分になったからではなくて、分母が2倍になったからである。

日本の高度経済成長で、国民の食生活は大きく変わった。ご飯と味噌汁と漬物といった伝統的な食事から、肉や卵を食べ、牛乳を飲むような西欧風の食事に変化した。それに応じて日本の農業生産も米・麦・芋中心から畜産物や野菜中心に変わったのだ。この間に、肉用鶏の飼育数が1億羽も増えた。採卵鶏の飼育数は5千万羽増えた。豚の飼育数が5百万頭も増えた。乳牛と肉用牛の数がそれぞれ50万頭ずつ増えた。日本の農地は増えないのに家畜の数が増えたら、家畜に食べさせるエサがない。だから飼料穀物の輸入関税をゼロにして、家畜に食べさせるためのエサの輸入を増やした。だから日本の「カロリーベースの食料自給率」が下がったのだ。

心配症の人のために言っておくが、現在の食料自給率が4割だから、万一食料輸入が途絶すると日本人の4割しか生き残れないという考えは間違いである。エサが輸入できなくなるから、日本で飼われている家畜のほとんどが生き残れないというのが正しい。

では万一食料輸入が途絶した場合に、我々が生き残るための対策は何か。まず配給制度による国民の食料消費の抑制である。スイスは平時には一人当たり3300キロカロリーある食料供給を、危機時には最低必要水準の2300キロカロリーに下げて配給する計画である。現在、日本人の食料供給量は一人当たり2500キロカロリー程度あるが、今は家畜のエサや野菜や花などを作っている農地に、穀物や芋類などの熱量効率の高い作物を作れば、一人当たり1900から2000キロカロリーの熱量供給が可能とされている(出典は農水省の食料自給率レポート)。

なお日本は、太平洋戦争の終戦前後に深刻な食料危機を経験したが、昭和21年の供給ベースの一人当たり熱量は1448キロカロリーだったという(農水省・食料需給表)。今の日本の食料自給率目標は、輸入途絶といった食料供給危機を担保するものとはなっていない。ほぼ無関係といってもいい。

●国家目標は永遠に…

実はこの食料自給率を国が数値目標として発表することにはためらいがあった。農林官僚と学者は反対だったのだ。だが、消費者団体と農業団体の強い圧力に負けて採用してしまったのだ。

ところが実際にやってみると、最初から予想されていたことだが、食料自給率向上目標はいっこうに達成されなかった。農水省は国民の食料消費量をコントロールできないし、農業生産の面から見ても、農地の面積が限られているのに穀物の生産量を何倍にも増やす術などありえないからだ。

さらに日本で一番大切な作物であるコメの場合は、零細規模の分散された水田を所有する多数の兼業農家がパートタイマー的に生産を担当しているので、国際価格の10倍を超えるというとんでもなく高い国内価格を引き下げられる可能性はない。だから、国内でコメの消費量は減り続け、やむを得ず生産調整するから生産量が減り続ける。これで食料自給率が上がるはずがない。食料自給率目標は「まぼろし」もしくは「まやかし」にすぎない。



さて最後に、農業を正しく考える練習として、「やってはいけないが、日本の食料自給率が確実に上がる政策」をご披露しよう。

(1)「侵略戦争をやって日本の農地を増やすこと」~なんといっても日本の国民1人当たりの農地の面積は英国の8分の1、フランスの13分の1しかないのだから。ただし太平洋戦争の際の日本の戦死者は200万人以上といわれている。

(2)「日本の人口を減らすこと」~江戸時代の日本の人口は3千万人から4千万人といわれているが、食料自給率は100%だった。ただし庶民の食事は貧しく、畜産物はまったく食卓にはあがらない「一汁一菜」が基本だった。それでも江戸時代の食料不足は深刻で、日本各地で飢饉が相次ぎ、多くの餓死者が出たという記録が残っている。

(3)「日本が貧乏になること」~日本の食料輸入が加速したのは、貿易収支の黒字が常態化してからである。「加工貿易」に依存している日本の工業技術が、ひとたび国際競争力を失えば、外国から食料を買う購買力は消えてなくなる。

(4)「江戸時代の鎖国に戻ること」~ただしそれでは食料も入らないが、石油や石炭や鉄鉱石も入らない。そこで食料は輸入しないが石油は入れたいというのなら、国際ルールにしばられないようWTOから脱退することだ。これは日本の国益に反する行為とは思うが。

いかがでしょうか。


かくらい・ひろし会員 1936年生まれ 60年NHK入局 農林水産番組班チーフプロデューサー(「明るい農村」担当)、解説委員など 95年退局後 農政ジャーナリストとして活動
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