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金大中拉致事件(青木 徹郎)2003年5月

身元保証人は外相?
北朝鮮による日本人拉致事件が新聞・テレビで大きなニュースとなったが、拉致事件といえば、いまから30年前、韓国の公安当局が、当時、韓国の反政府・民主化運動のリーダー格だった金大中前大統領を日本国内から連れ去った事件と、この事件に関連して、記事には書けなかった1つの、“事実?”を思い起こした。

金大中事件は、韓国の公権力により、国家の主権が侵害されるという、日本にとって極めて重大で深刻な問題であった。しかし、日本の捜査当局が、拉致事件に在日韓国大使館の一等書記官が関与していたことを突き止めたが、日韓両国政府は、事件発生後から3ヵ月後、日韓首脳会談によって、事件の真相解明を棚上げにして政治的決着を図った。

当時のことなので、いつごろのことか、記憶はさだかではないが、この事件に関連して、“重大な事実?”を知った。

日本滞在中の金大中の身元保証人に、当時の大平外相がなっていたという話を、懇意にしていた警察庁幹部から聞かされた。もし、“事実”だとすれば、韓国における反政府運動の首謀者の身元保証人を、こともあろうに日本の外務省首脳が引き受けていたことになる。

この“事実?”が表に出れば、金大中事件の真相解明はもとより、日韓関係そのものにも、重大な影響を及ぼすものと思った。そのため、自分なりに判断して、この“事実?”を報道するのを断念した。心のうちに秘め、ほとぼりがさめたら関係者に確認することにした。

事件前の韓国の政治情勢はどうだったろう。61年5月将校を率いてクーデターに成功した朴正熙は、62年3月に大統領権限代行になり、63年10月の選挙で、尹候補を小差で破り、第5代大統領になっていた。長期化する軍事政権に対する反政府・民主化運動が、国民の間で高まっていた。

こうした中で、71年に大統領選挙が行われ、朴大統領と、野党「新民党」のスポークスマンとして金泳三らと共に活躍していた金大中の2人が争った。選挙の結果は、634万票対540万票と約90数万票差で、現職の朴大統領が勝利をおさめた。しかし、金大中候補の大統領選の善戦は、反政府・民主化運動を勢いづかせた。

その直後、金大中が交通事故で重傷を負う事故が起こった。朴大統領の強力な政敵となった金大中を抹殺するため、KCIA(韓国中央情報部)が企てたという“陰謀説”もあった。金大中は、このケガの後遺症の治療や海外の同胞たちの支援を受けるため、たびたび米国や日本を訪れ、反政府・民主化運動を続けていた。

90万という票差に危機感をつのらせた朴政権は、政敵・金大中の反政府運動を抑圧するため、彼の海外滞在中の72年10月に「非常戒厳令」を発令した。このため金大中は、国外へ亡命したも同然となり、とても韓国に戻れる状況ではなくなった。

この翌年、金大中事件が起こった。当時の報道をもとに事件の概要をまとめた。

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73年7月25日から、日本に滞在してた金大中が、8月8日の白昼、宿泊中の東京・千代田区の「ホテル・グランドパレス」から、複数の韓国人により拉致された。その後、行方不明となり、6日後の8月13日になって、韓国ソウル市内にある自宅に、目隠しをされ、傷だらけの姿であらわれた。この事件の全貌については、その後、韓国の有力紙が「KCIA」の“極秘資料”を入手したとして明らかにしている。この他にも様々な報道がされてきた。

当時の日本政府は、田中首相、大平外相の時代であった。後に発刊された『大平回想録』によれば、日米首脳会談から帰国したばかりの大平外相は、静養先の箱根で事件発生を知らされた。外相は「この事件は、日本の主権に対する侵害が絡む複雑かつ深刻な問題」と認識していたという。

金大中本人は、当時の会見で「ホテルの廊下で麻酔薬をかがされ連れ出され、自動車で大阪らしいところに運ばれた。その後大きな船で韓国に連れてこられた」と拉致された模様を明らかにしている。

この年の9月になって、日本の捜査当局は、現場に残された指紋などから在日韓国大使館の金東雲一等書記官が、事件に関与していた事実を突き止め、韓国側に任意出頭を求めたが、事実上拒否された。また本人も、すでに日本にいなかった。その後も、韓国政府は「金書記官の帰国を認めたが、事件には無関係」との態度を貫き通した。このため、事実関係をめぐる両国の主張は、平行線をたどっていた。

日韓両国には、暗い過去の歴史があり、また国交が正常化されたとはいえ、当時の両国関係は、必ずしも良好なものではなかった。

このままこう着状態が続けば、両国関係は抜き差しならない外交的亀裂を生じる可能性もあった。事件発生直後は、極力政治レベルのものにせず、この問題に対処していた大平外相も「お互い独立国家として、長期の友好関係を考慮する必要がある」として、事態打開のために、高度の政治判断による決着に傾いたといわれる。

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ところで、当時、日韓両国は入国査証(ビザ)を取得するためには、入国先の身元保証人が必要であった。金大中の場合、この身元個人名かどうか不明だが、当時の大平外相のサインがあったとのことだ。

朴大統領にとっては、金大中が最大の政敵であり、反朴運動の首謀者でもあって、“政治犯”も同然であった。こうした金大中の日本入国に際し、日本の外務省首脳が、身元保証人を引き受けていたとなれば、韓国側は、国家間の信義に反する重大な外交問題だとして、日本政府に事実関係の究明を迫ることは必至だろう。となれば、金大中事件の真相究明どころか、政治決着もおぼつかなくなる。さらには、日韓関係そのものが、重大な局面を迎えたことだろう。

金大中拉致事件に、韓国の公安当局者が関与したことは、日本側の捜査で明白である。最終的には、事実関係をうやむやのまま、“政治決着”を図ったことは、大平外相にとっても苦渋の選択であったに違いない。

こうした背景に、“身元保証人問題”が事実だとすれば、何らかの影響があったのではないか。

この“事実”関係について、ほとぼりがさめたら、当事者に確認するとともに、引き受けたわけをただしたいと思っていたが、日常の取材活動に追われて、確認できないままに、当事者もすでに他界されており、真相は“藪の中”……。


あおき・てつお会員 1937年生まれ 60年ラジオ東京(現東京放送)入社 政経部長 報道局次長 報道主幹 宇宙プロジェクト室次長 社長室・報道局理事などを歴任 2000年スカイパーフェクト・コミュニケーションズ執行役員 01年からサムライティービー代表取締役社長
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