ベテランジャーナリストによるエッセー、日本記者クラブ主催の取材団報告などを掲載しています。


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世界遺産 古代特派員(高木 規矩郎)2006年7月

勝手に命名した「古代特派員」とは私の旅の日常を物語る。同時代の世界を駆け抜ける特派員に対して、古代へと時間を遡る。読売新聞の中東特派員時代の体験の延長で旅を続け、ジャーナリストの目で世界を見て行きたいという欲求の表れでもある。読売退職後、早稲田大学の研究機関に加わり、世界遺産の聖域を回って、見たこと、聞いたこと、感じたことを特派員体験と照らし合わせながら講義録としてまとめ、学生たちに語り伝えてきた。来春開校予定のネット大学では、「世界遺産と現代社会」という切り口で、旅の体験に特派員時代の取材の思い出をからめて、現状での報告をするつもりである。

旅はエジプトに始まり、カンボジア、イスラエル、ロシア・エストニア、カタール、レバノン、マルタ・リビアと続いている。国内では五島列島、高野山、知床半島を回り、世界遺産登録後の地元の本音を探り、登録をめざす住民の思惑を聞いた。旅の形にもこだわってきた。まったく異なる人生を歩み、異なる体験を積んできた科学者、設計士、脚本家、高校・大学教師たちに声をかけ、数人でチームを組んで旅立った。カメラマンとして毎回妻も同行した。旅費はわずかな年金生活を圧迫するが、旅を通して喜怒哀楽をともに出来るのもかけがえのない魅力である。

行き先を決めるにあたって、単にガイドではなく、現地に深く溶け込んでいる人をまず探した。エジプトではアブシール南遺跡で発掘作業にたずさわっていた考古学者の吉村作治教授(当時早稲田大学人間学部)の日程に合わせて出かけ、石棺が見つかった地下墓も見せていただいた。アンコールワット、バイヨンでは日本隊の隊長として、壁画の修復、寺院の再現などに取り組んでいる中川武教授(早稲田大学理工学部)、五島では美術史の観点から木造教会の歴史に取り組む浅野ひとみ助教授(長崎純心大学比較文化学科)と強力な専門家に旅ナビをお願いした。

昨年夏は巨石文明の跡を残すマルタと豊富なフェニシア・ローマ遺跡が散在するリビアを回った。いずれも廃墟の背景に広がる地中海の海と空が見事なコントラストをなしていた。中でもマルタは四半世紀前のローマ特派員時代に現地を訪れるチャンスを失した地中海の“最後の楽園”であった。リビアへの途中、給油のため飛行機が着陸するというので、出発直前に急遽追加を決めた私たちの旅ならではの「手作り」の日程だった。だが世界遺産を持ちながらその歴史がほとんど知られていない小さな島国マルタの旅は、記憶に深く刻み込まれた。

エジプトのピラミッドよりさらに500年から1000年古いとされる地中海文明発祥の地の巨石神殿の遺跡群、マルタ騎士団の歴史を伝える首都ヴァレッタ市街地、地中深く広がる地下墓地と3ヶ所の世界遺産を回った。マルタ本島の北西ゴゾ島、サボテンが自生する丘陵の遺跡ジュガンティーヤ神殿は、一見すると古代の石切り場か現代アーチストの巨大なモニュメントを思わせるが、一歩近づくとその精緻な構造に驚かされる。20トンもの巨石を隙間なく垂直に積み上げた技術、豊満な女体をモチーフのクローバーの葉のような丸い房が重なった神殿内部の部屋の配置・・・。旅仲間の建築構造が専門の山田利行さんは「山頂までどのように巨石を運び上げたのか。おそらくコロとテコを使って引き上げたのだろう。入り口の頭上に渡された巨石はどのように持ち上げたのか。土の傾斜地を利用して設置したあと土を抜き取ったのであろうが、どこを見ても古代の人の英知を感ずる」と驚嘆の面持ちだった。

マルタ島のタルシーン神殿からは、太った女性の下半身像など肥沃・多産への信仰を表現したものが、数多く発掘されている。世界遺産の一つハル・サフルエニ・ハイポジウム(地下墓地)からはマルタの古代文明の象徴とされる豊かな腰周りの彫刻「眠れる美女」も見つかった。おおらかなセックス賛歌、出産への祈りでもある。古代のエネルギッシュな文明の息吹を感じさせてくれた。

最初のエジプトへの旅からチームリーダーとして参加している物理学者の米沢富美子名誉教授(慶応大学)は、「見るもの、聞くもの混沌の世界そのもの」と感想を口にした。恩師のノーベル賞学者湯川秀樹博士を囲む勉強会「混沌会」をふと思い出しての一言だったのであろう。混沌の中にこそ歴史の真実があるということなのか。旅を重ねる間に米沢語録も少しずつ増えてきた。今年の秋は大地震でつぶれたイランのバム遺跡を見に行きたい。世界遺産が自然の脅威にどのように立ち向かっているのか。バムではどんな発見、どんな出会いがあるのだろうか。楽しみである。(2006年7月記)
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