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エチオピアの17日(森脇 逸男)2005年11月

エチオピアの話にしよう。今年(2005年)2月から3月にかけて17日間のツアーに行ってきた。私の海外旅行は、(1)観光、ことにあまり人の行かないところ(2)スキューバダイビング(3)皆既日食観測、の3種類に大別できる。エチオピアは(1)に属するが、友人に誘われたとき、最初はややためらった。アフリカは十数か国を訪問済みで、そろそろ卒業という思いがあり、南極やガラパゴス、モンゴルなど、行ける間に行っておきたいところは、まだたくさんあるからだ。

それでも案内書に目を通したら、意外におもしろそうで、行く気になった。何しろキャッチフレーズが多い。世界で最も古い国の一つ、人類発祥の地、シバの女王の国、原始キリスト教信仰の伝統があり、サハラ砂漠以南で唯一独自の文字を持つ国、コーヒー発祥の地、といった具合だ。

旅行社が送ってきた現地情報には、「北部:ダニ対策・ダニ予防に防虫剤・ダニクリン、殺虫剤・水性キンチョールを推奨。南部:半分はテント泊。虫除けスプレー、蚊取り線香、虫刺され薬が必須。人物の写真撮影は撮影料を要求される。(アディスアベバ以外は)ほとんど水シャワー。(ホテル、レストラン以外は)基本的に青空トイレ」ともあった。旅心に拍車がかかった。同行者は、催行決定ぎりぎりの6人(男2、女4)で、「あまり人の行かないところ」にぴたりだ。

当日、午前10時55分成田発JALでバンコク。エチオピア航空に乗り換え、アジスアベバ。到着は少し遅れて21時間5分後の翌日午前2時だった。ホテルで一眠り、国立考古学博物館を参観、以後、バハルダール→ゴンダール→ラリベラとまず北部を回る。

何よりも印象的だったのは、原始キリスト教の教会の数々だ。ことにラリベラでは、一枚岩の岩山を掘り抜いた世界遺産の岩窟教会群で、祈りの雰囲気に浸ることができた。ナイル川の源流の青ナイルの滝やタナ湖の風光、コーヒーセレモニー、考古学博物館で見た350万年前の「人類の母、ルーシー」の骨(展示はレプリカで、本物は倉庫の中だったが)なども記憶に鮮やかで、懐かしい。

ツアー後半は南西部に向かう。もともと約80の種族が暮らすエチオピアで、南部は少数部族のるつぼだ。女性が下唇に直径10センチ以上もの土器の皿をはめ込むムルシ族(もともとは、近隣部族にさらわれるのを防ぐため、わざと不気味に見せる目的で始まった風習だという。今は一応政府によって禁止されている)をはじめ、黄と赤のビーズで装飾、男子は成人のしるしに牛跳びの儀式をするハマル族、竹とにせバナナの葉でユニークな家を作るドルゼ族など、村々に残るそれぞれの種族のユニークさには興味深いものがあった。

しかし、その独自性は裏返せば、1人当たり年間所得90ドルという貧しさの表れでもあった。途上国では物売り、物乞いに悩まされることが多いが、現地情報にもあった「写真撮影料」の「ポト、ポト」、胸に差したボールペンを欲しがる「ペン、ペン」攻勢は、これまで経験した中でもトップクラスだった。アフリカで独立を保った数少ない国、誇り高い国のはずなのにと、残念に思った。3000年の間、為政者は民生向上にもっと手を打てなかったのかと、腹立たしくも感じた。

ある部落で、頼んだわけでもないのに案内役を買って出て、そのくせ写真撮影もペンもねだらなかった若者に、乞われるままに住所と名前を教えたら、数か月後「カメラと腕時計を送ってほしい」という手紙が来た。最新のデジカメを送っても使いこなせまい、高額関税を徴収されても困るだろうと、手元にあった中古カメラと腕時計にフィルム、電池を添え、説明書を英訳して荷造りし、旅行社でエチオピアツアーの添乗に行く人にお願いして現地で郵送してもらった。果たして届いたかどうか、いい写真が撮れたかどうか、便りを待っているところだ。(2005年11月記)
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