2016年02月04日 15:00 〜 16:00 9階会見場
「3.11から5年」⑤ 菊地啓夫 宮城県岩沼市長

会見メモ

岩沼市の菊地市長が会見し、記者の質問に答えた。
司会 瀬口晴義 日本記者クラブ企画委員(東京新聞)
岩沼市HP


会見リポート

コミュニティー維持で早期復興

阿萬 英之 (時事通信社内政部デスク)

東日本大震災による津波で181人が亡くなり、東部地域のほぼ全域が浸水した宮城県岩沼市。2011年3月の震災時に副市長を務め、14年6月に市長に就いた菊地啓夫氏は7年計画での早期復興を目標に、市民とともに地域の再生に取り組んできた。

 

15年7月に沿岸部6集落の集団移転先となる「玉浦西地区」のまち開きにこぎ着け、今年4月末までにプレハブ仮設住宅の住民全員が新たな住まいに移る。震災直後に若者らの流出で減った市の人口は、震災前をやや上回る約4万4450人に回復した。菊地氏は「(震災から4日目の)3月14日に地域別に避難所を振り替えたことが後に大きな力となった。集落が1カ所にまとまったことで意思決定が早くなり、集団移転の決断に結び付いた」と復興が進む要因を明かした。

 

集団移転先は約20ヘクタールの農地をつぶして造成。沿岸部6集落の住民のうち約400世帯が移住した。災害公営住宅に入る人も含めてコミュニティーごとに集まって住めるようにし、「ほとんどが顔見知り」。災害公営住宅は住民の意見を踏まえて4タイプ設け、例えば、「高齢者は2階に上がるのが大変なので、平屋で日当たりの良い住宅にした」という。集会所も①子どもが遊べる②備蓄倉庫付きで災害時に避難する③高齢者を中心に利用できる―3種類を整備するなど、「住民がまちづくりを自分たちで選択しながら進めてきた」と振り返った。

 

マスタープランに掲げた復興事業の進捗率は7割程度。震災の伝承と貞山運河(貞山堀)を中心とした歴史的・文化的景観の保全▽集団移転した住民、特に高齢者の生きがい対策▽仙台空港民営化に伴う企業誘致や雇用の場づくり―など残る課題に取り組み、18年度末の震災からの脱却を目指す。

 

防災対策では、①防潮堤②千年希望の丘③河川の拡幅と堤防のかさ上げ④道路のかさ上げ―の「4重の守り」を整えるが、「(ハードだけでは)守り切れない。逃げるのが一番」と強調。道路の拡幅や避難訓練を進めるなど、「津波が来たらまず逃げる」意識を住民に維持し続けてもらう対策にも力を入れる考えだ。

 

ゲストブックにしたためた言葉は「努力は人を裏切らない」。「私は職員上がり。ずっと市民のために働いてきたが、震災が起きたために(市長に)残った。これからも市民の幸せのために頑張っていきたいし、努力すれば何とかなるという思いだ」と会見を締めくくった。


ゲスト / Guest

  • 菊地啓夫 / Hiroo Kikuchi

    日本 / Japan

    宮城県岩沼市長 / Mayor, Iwanuma City

研究テーマ:3.11から5年

研究会回数:5

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